バーチャルレガッタ講座

いつでもどこでも誰でもeSailingを楽しもう!

イタリア遠征・その1~試合前日まで編~ (KG-R)

コメント(0)

※すべてつなげると長くなってしまうので、試合前日まで、試合当日、試合後の観光、の3パートに分けて、1日1本ずつ公開します。すぐ書いたり、その日のうちに書いたり、あとで思いだして書いたりとバラバラなので、時制がガタガタになっているかもしれません。日本にいるときは日本時間、ヨーロッパにいるときはヨーロッパ時間で書いています。次の文から本編です。


まずはじめに、Semi Final が終わってから日本出発までの、運営からの連絡について記録しておく。

・9/22(金)(Semi Finalの日)
World Sailing の人と飛行機に関する連絡を数ラリーする。9/23(土) のこちらからの返信が最後。こちらからいくつか情報を伝えたのみで、ほとんど何も分からないまま。

・9/27(水)(出発8日前)
飛行機のeチケットが届き、乗り継ぎ・目的地の空港や、出発日時などが判明する。

・9/28(木)〜10/4(水)
World Sailing の人からは音沙汰なし。Discord で試合開始時間、フォーマットなどがOscar から部分的に知らされる。試合会場は、Barcolana のHPで初めて知る。

・10/5(木)(出発日)
トリエステ空港に着いた後の動き、宿泊施設(以降、宿)、滞在期間中の詳細なスケジュールなどがまとまったファイルが、朝寝ている間に届く。
羽田に向かう電車のなかで読む。
SI はフランクフルトに着いたあたりで発表される。

記録は以上だ。
Virtual Regatta にはいつもお世話になっているし、World Sailing にも感謝の気持ちでいっぱいだが、宿泊に関しての連絡の遅さに関しては改善してほしいと思う。
Semi Final 延期の影響がおおいにあっただろうが、出発直前まで向こうの空港に着いてからどうすればいいのか分からなかったのは、とても不安だった。

さらに要望を言えば、日本人選手の現地到着予定時刻が、レース開始時刻のたった約17時間前というのもどうにかならなかったのかと思う。
時差ボケに関して、OESシンガポールでは日本やアジアの選手に有利だったものの、到着から試合まで数日の期間があった。
運営体制や予算などが違うので難しいだろうし、選手の都合などもあるだろうが、もう少し配慮してほしかった。

文句を言うだけでは仕方がない。スケジュールに関しては事前にある程度わかっていたので、時差ボケを日本にいる間にどう対策するかを考える必要があった。
muimuiさんは出発前日に荷造りで時間がかかったため徹夜をしたらしい。私は出発日朝のスケジュールの関係で、いつもとさほど変わらない時間帯にしっかり時間を取って寝ることにした。寝つきはあまりよくなかったが、最低限は眠ることができた。
前日にしっかり眠っておけば、飛行機の中や向こうに着いてからあまり眠れなかったとしてもなんとかなるかもしれない、という考えだ。とても甘い考えなのでうまくいくとは思ってないが、不利な状況や状態のほうが戦うためのいい精神状態を作れる気がするので、むしろ時差万歳と思うことにしている。今回ダメだったら、次回以降対策すればいいだけだ。

もっとポジティブに考えることもできる。開催地に着いてからすぐ試合ということは、日本にいるときの体調管理に気をつければ、海外での慣れない環境等による体調不良の心配はいらない。幸運にも、今回は出発までの数週間、これといった不調がなかった。OES のときよりも健康な状態で試合に臨めそうだ。健康第一。それはスポーツでもeスポーツでも同じこと。

せっかくなので、Grand Final のためにした他の準備についても軽く記録しておく。

まずは練習について。やったこととしては、緑レースをほぼ毎日少しずつと、夜に様々な艇種の練習会を最大11艇で開くこと。クラブレースも1回参加して、以上のいくつかは録画してある。他には、昨年度のGrand Final を復習した。ペナルティスタートが横行していて、あてにならなかった。
Grand Final までの期間が短かったので、このくらいしかできなかった。腕を磨くというよりは、腕を錆びさせないことを目的にしていた。

他の主な準備としては、英語とイタリア語の勉強がある。
英語は、今年7月に英検を受験、そして合格した後、ほぼインプットするだけの勉強に戻った。Podcast、Twitch、Amazonプライムビデオ、Netflix などが主な教材だ。それだけを見たり聞いたりするときもあるが、基本的にはVRIをやりながら流していた。
Grand Final 進出決定後、また英語を話す必要に迫られたので、以前よくやっていたオーバーラッピングなどの口を動かす勉強を少しだけやった。能動的に英語を話すわけではないのでやや心配は残るが、聞くだけよりはマシなはずだ。
試合よりもインタビューに緊張するのは日本人eセーラーあるあるだろう。

イタリア語はたまに目にしたり耳にしたりしたことがあるくらいで、まったく体系的に勉強したことがなかった。今回のイタリア訪問をきっかけに少しは街中の文字などを理解できるようにと勉強することに決めた。
勉強といっても、Youtube で動画を少し見た程度なので、覚えた単語や文法、挨拶は少ししかない。
もっと早く始めておけばよかったと思うほど、イタリア語はおもしろい。たぶんイタリアから帰った後も、イタリア語学習の動画を漁るだろう。

イタリア語を学ぼうと思うようになったきっかけは間違いなく今回のGrand Final だが、この意欲をかき立ててくれたものが他にもある。
意外!それはジョジョッ!いや、察しのいい人にとっては意外ではないだろう。6月のシンガポールでは、うっかり3部の聖地であることを忘れて悔しい思いをした。今回のイタリアは、忘れようもなくジョジョ2部と5部の聖地だ。
残念ながら、Grand Final の舞台となるトリエステ自体はジョジョに出てこず、ジョジョに出てくる名所の多くはトリエステから遠い。
それなら、ジョジョの世界観への理解を深めるためにもイタリア語を学んでしまおう、と考えたわけだ。
特に5部では各所にイタリア語が登場する。数日前から、5部のアニメを英語音声&英語字幕で見はじめた。その音声の大半は英語だが、イタリア語が高頻度で出てくる。
しかしイタリア語は字幕では英語に直されていることがほとんどで、だからこそ不意に出てくるイタリア語を知っていたときの喜びはこの上ない。よく知らない単語が出てきたとしても、文法や発音、雰囲気などから、イタリア語だと判別できるだけでうれしい。語学勉強のおもしろさってこれか、と思った。

大学生時代は外国語全般に興味があまりなく、必修ではなかった第二外国語の講義は受けなかった。ここ最近は、英検の勉強やOES決勝の影響により、外国語への興味が次から次へと湧いてくるようになった。
来年のOES開催候補筆頭がフランスなので、決勝に行けることになったら慌ててフランス語の基礎を学びはじめるだろう。フランスといえばeセーリング強豪国。フランスといえばポルナレフ。
ジョジョ3部の英語音声では、ポルナレフがフランス語らしき言葉を発することが多々あった。それがまったく分からなかったことで、ポルナレフとの心理的距離を感じた。その距離を少しでも縮めたいので、OESがどうなろうとフランス語はいつか必ず手をつけたい。

準備段階の話はこのくらいにして、次に行きの空港や機内での出来事や過ごし方を記録しておく。

空港に着いてすぐ、FC RICHさん、muimuiさんに会った。少し前に見た写真などの印象とは少し違うように感じたが、それはお二人も私に対して感じたのではないかと思う。声はボイスチャットでよく聞いていて、もちろんそのままだった。

保安検査にお二人とも引っかかり、muimuiさんにいたっては再検査となる小事件があったものの、特に問題なく進んだ。
お二人はその後空港内のコンビニで、海外の選手たちのためにお土産を買う一方、私は自分の小腹を満たすための塩おにぎりだけを買った。元来お土産を用意するのが苦手な性格なので許してほしい。
椅子に座り搭乗開始を待つ間、3人でVRIをやったり、岡田圭樹の全日本470下ピンスタートを見たりした。
搭乗後は3人とも席がバラバラなので、しばしのお別れとなった。

搭乗後、私はいくつもの出来事やトラブルに見舞われた。ほとんどは飛行機あるあるにすぎず、つまらない話かもしれないのでご容赦いただきたい。

・イヤホンジャックが見つからない問題
初めて利用するルフトハンザ航空。最近乗ったJAL やANA とはだいぶ勝手が違うのは予想していた。
自分の席についてから最初に探したのはコンセント。分かりにくい場所ではあったが、すぐに見つかった。
次にイヤホン(ヘッドホン)を探した。前のネットにイヤホンは入ってなく、持参もしていなかったので、備えつけの端末を楽しめないのかとがっかりしかけたが、希望する人に後から配る方式だった。離陸後まで待つことになったものの、入手することはできた。
しかし、肝心のイヤホンジャックが見つからなかった。イヤホンを受けとる前から探していたが見つからなかった。
同じ列の人は使ってなかったり、同じくイヤホンジャックを見つけられていなかったりした。結局、少し離れた席の人をカンニングしてようやく見つけた。ボタンがついている肘掛けの先端についていた。あまりにも死角。だが、この位置なのには理由やメリットがあることにすぐ気づいた。

・端末ローディング終わらない問題
イヤホンを受けとる前から、目の前の端末をポチポチ触っていた。収録コンテンツにひととおり目を通そうとしたところ、TV番組のページで長いローディングにつかまった。
機内アナウンスが入ったあとにローディングが終わったのだが、もう一度同じページで操作したところ、また長いローディングが始まった。今度も数分で終わるだろうと思った。10分以上たっても終わらなかった。機内アナウンスが入っても終わらなかった。何時間たっても終わらなかった。
端末で映画や音楽などを楽しむのは諦め、ひたすらこの日記を書くことにした。せっかく見つけたイヤホンジャックは空いたままである。

・コップの水こぼれそう問題
離陸後少ししてから、飲み物のサービスがあった。私は水を選び、その少し前に配られたクラッカーと一緒に口にした。
飛行機はそのとき、日本人CA曰く「気流の悪いところ」を飛んでいた。
私は水が入ったプラスチックのコップをテーブルの少しくぼんだところに置いていた。そのくぼみはかなり浅かったし、コップの底と径が合っていなかった。

飛行機の揺れは激しかった。水が揺れて何度もこぼれそうになった。コップが倒れそうなくらい揺れたりもした。隣の人は危険を感じたのか早々にコップを空にしていたが、私は揺れのために席を立てないので、つまりトイレに行けないので少しずつ飲んでいた。それでも予定よりは速いペースで水を飲んだ。コップの3分の1くらいまで減らしてもこぼれそうで怖かった。それと同時に、頭文字Dで水をこぼさずに峠を走るエピソードを思いだして愉快な気持ちにもなった。

少し遠くの席の人のほうになんとなく視線をやったとき、コップを安定させる方法を見つけた。そのおかげもあり、「水」は一滴もこぼさずに済んだ。

・プチトマト破裂事件
水をこぼさなかった代わりに、プチトマトの汁をぶちまけた。
ひどい揺れが収まった後、機内食が運ばれてきた。ポテトサラダが入った器の中に、そいつはいた。
ヘタを手で取るのをためらい、2、3口で食べようと思った。リスクがあるのは承知のうえで、そのハリがある若々しい皮に、いかにも弾けてしまうような元気のつまったその赤い皮に、私は前歯を慎重に食いこませた。

恥の多い生涯を送ってきたが、25歳にもなってプチトマト1つさえキレイに食べられないとは思わなかった。
幸か不幸か、プチトマトの汁のほとんどは、パーカーの右襟の内側に飛び散った。機内食のセットに紙ナプキンがついていたので、それで急いで拭きとった。しかし紙ナプキンは、私の汚点まで拭きとってはくれなかった。
隣に座っていた外国のお姉さんはこちらに視線をよこさなかったが、私が何をしでかしたのかは把握しているに違いない。私は火照った。

・充電できない問題
スマホの充電がいい感じに減ってきたところで、充電を試みた。しかし反応しない。コンセント側やスマホ側を何度か差しなおしてみたが充電が始まらなかった。
羽田空港でも充電に失敗しているので、もしかしたら私の充電器と、用意されているコンセントの電圧か何かが合っていないのかもしれない。
有識者の方がいれば教えてほしい。

トラブルは以上だ。
機内では、この日記を書くこと、仮眠することだけでは埋まらないほど時間があった。自分の席の端末が使えないので、他の人の見ているものを盗み見てみたが、興味は長続きしない。オフライン状態のスマホに頼るしかなかった。
オフラインでは無理だろうと思いつつ、一つのアプリを開いてみた。iPhoneユーザーお馴染みの「ブック」だ。本は紙派なので、このアプリはほとんど使っていない。以前、本の品揃えを確認するために少し開いたことがある程度だ。
アプリを開くと、履歴の欄に1冊と、サンプルの欄に1冊のみ表示されていた。履歴のほうは検索したことがあるだけの有料の本で、購入していない。だから当然読むことはできなかった。
サンプルのほうも期待せずにタップしてみたら、文章が表示された。読んだ記憶はないが、それは中途半端なページだった。ページをめくろうとフリックしたら、めくれた。前にも後ろにもたくさんめくれた。それから目次を確認してみると、100ページ以上が読める状態であることが判明した。
そのサンプルは無料であるものの、本の半分ほどが読めた。偶然にもダウンロードされたまま残っていたらしい。その本のタイトルは「種田山頭火全集」。旅に出ている今の自分にぴったりだった。山頭火といえば俳句のイメージが強いと思うが、日記、エッセイなども残していて、このサンプルで読めたのは主にエッセイだった。私は山頭火が気の向くままに書いた文章が大好物なのだ。眠気がないうち、目が元気なうちはむさぼるように読んだ。

フランクフルト空港に到着後、乗り継ぎの道のりが長く、いったい空港のどこに運ばれているのか分からず、方向感覚や位置感覚が働かなかった。ガラス越しに見える搭乗ゲート前の待機室にネズミがいた。

長い行列に並び、入国審査を前に緊張しだした私たち3人。シンガポールでは入国審査が無人化されていたので審査官と話した経験がなく、私もやや緊張していた。
muimuiさんは聞かれる内容を調べていた。行列は審査ゲートの直前で4、5列ほどに分かれており、私たちは同じ列に並んだ。順番が直前まで迫ってきたとき、FCさんがあることに気づいた。他の列ではいくらか会話をしている様子なのに、自分らのいる列だけ無言でパスポートの受け渡しが行われているようだと。
その光景があまりに異様だったので、この列はヨーロッパの人たちや、何か特別な待遇を受けるべき人のための列じゃないかとFCさんは疑った。私は、たまたま質問が少なくても済むような人が自分たちの前に並んでいたのではないかと思った。
そして迎えた自分たちの番。最初はmuimuiさん。パスポートにスタンプを押されて無言で通過。次は私。同じくひと言も発さずに通過。審査官のパスポートの返し方は「早く受けとって、さっさと行きやがれ」と言っているような感じだった。FCさんも無言で通過。たったひとつの当たり列を引いたようだ。(と思ったが、後日調べてみると、行く国や自分の国籍によっては無言で通過できることもよくあるようだ) その後、ネズミが住む待機場所にてOmer(VRのスタッフ)と合流し、誘われるまま2v2のチームレースを2戦だけした。私とOmer 対FCさんmuimuiさんで、1勝1敗だった。

(ここから下はメモ程度なので書き直し必要)

トリエステ行きの便にトラブルがあったようで、20分ほど出発が遅れた。座席4列の小さい飛行機だった。緊急時の説明は、男性のモデルみたいにシュッとしたCAが、真顔で実物を使ったり身振り手振りでやっていた。
22:40ごろにトリエステ空港到着後、World Sailing のスタッフと合流する予定らしかったが、そのスタッフの便も遅れるか何かして、空港の到着所出口でその人を待つことになった。FCさんは、ここからはスリだらけだと言って警戒心を高めていた。しかし夜遅いこともあり、人はまばらだった。
23:20ごろにその人が到着して、計5人となった私たちは外のタクシー乗り場へ移動した。タクシーはなかなか来なかった。バスなどの他の手段を考えはじめたところでタクシーが来た。一人客と相乗りになった。23:40ごろにようやく空港を離れた。この空港から宿までは30km以上あるので、いくらタクシーとはいえ日付を越えることになりそうだった。
イタリアの道は信号が少ない代わりにラウンドアバウトが多く、中央の円を避けるたびに左右に揺られた。自分は後部座席の真ん中に座っていたので、なおさら揺れた。私は揺れに耐えるために起きていたが、両隣の二人は顔をうずめて少し眠っていた。
やることもないのでタクシーの運転や景色を見ていた。道路の線に縛られずに自由に走っているようだった。Omer、乗合客、運転手が、行き先や支払いについて話しあうのを、ぼんやりした頭で聞いていた。運転手と乗合客はイタリア人のようで、イタリア語が飛びかった。さっき機内で聞いたアナウンスのイタリア語は速すぎてほとんど分からなかったが、この会話は内容が分からないにしても、たまに単語が聞き取れた。

乗合客が降り、トリエステ空港で合流したスタッフが降り、Omerは代金の支払い手続きを済まして、「この後はタクシーにもう少し乗せてもらって、降りたら地図見て宿に向かってね」と言い残して下車。宿の入り口にKJOOBが立ってくれているらしい。車内には、イタリア語しかほとんど話せない現地の運転手と、英語ならギリギリ話せるがイタリア語はほぼわからない日本人3人が残された。
タクシーが止まったとき、0時をとうに超え、6日になっていた。イタリア語で必死に説明してくれるのだが、私たちはポカンとしており、タクシーから降りるのさえ苦労した。降りてから、目的地までどう行くかを地図を見せながらイタリア語で話してくれたが、やはりほとんど分からない。こちらから英語で質問しても、運転手にはあまり伝わらない。最終的に、運転手が少しだけ歩いて案内してくれ、目的地を指し示してくれた。指している方向が地図と合わなかったが、わかったふりをして「Grazie」と言い、強引に別れた。

タクシーが消えた後、地図のほうを信じて、運転手が指したのとは逆の方向に歩いた。2回角を曲がると、指定されていた場所にKJOOBが立っていた。背がとても高かった。
エレベーターと階段どっちで上に上がるか聞かれ、私はバッグひとつ背負っているだけだったので、他二人の大荷物のことを考えずに、真っ先に「階段」と言ってしまった。というのも、泊まる部屋は「2階」にあると言われていたからだ。しかしここでの2階は、日本での3階を意味することに階段を上っている途中で気づいた。最後に疲れることをさせて申し訳ないと思うが、後日使ってみたとき、その旧式さに皆不安を覚えた。
部屋の前に着いてKJOOBに説明を受けていると、Farleyが一室から出てきた。元気そうでなによりだった。鍵の開け方を教えてくれて助かったが、早く寝なくて大丈夫なのかと思った。時刻はもう0:30を越えている。

荷ほどきをして、いくつか連絡をすませ、最低限の日記用メモを取り、シャワーを浴び、などあれこれしていると、いつのまにか2時を越えていた。土足文化のおかげで無駄な時間を使った。やはり慣れない。
宿はホテルというよりは、アパートを短期間貸し出しているような感じに近く、サービスやアメニティは充実していなかった。歯ブラシがなかったので、うがいと指で数日間しのぐことになった。シンガポールのときになかった剃刀は、持参しておいて正解だった。

リハーサルは6日午前10時集合。寝る前にもう8時間前を過ぎていた。移動と朝食の時間を考えると、7時間睡眠すら不可能だった。他のお二人と合わせ、7:30にアラームをかけた。寝る直前の時計はたしか2:20くらいを示していて、長くても5時間くらいしか眠れなかった。

(その2へ続く)
イタリア遠征・その2~試合当日編~ (KG-R) | バーチャルレガッタ講座 – ゲームウィキ.jp (gamewiki.jp)

【写真コーナー】

いろいろ持ちこもうとするmuimuiさん
羽田→フランクフルトの便
読み込みが終わらない機内の端末
浅すぎるコップ用のくぼみ(右上)
ドリンクホルダーありました
行きの機内食。はじける前のプチトマトが写ってる
フランクフルト→トリエステの便
トリエステ=ロンキ・デイ・レジョナーリ空港(トリエステ空港)
人が少なく、空は真っ暗
港が見えてきた。宿まであと少し
宿に到着。きれいではある

コメントを書き込む


Protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.

まだコメントがありません。

×