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函館で靴下を買う (KG-R)

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先日、1泊2日で函館に行った。それは3月の頭で、函館では久々だったらしい大雪の日だった。雪のおかげで、行きも帰りも飛行機が遅延した。昨年、祝津に訪れたときは4月で、雪は解け残りを見た程度。降るものは雨だった。今回の函館で、おあつらえ向きの厳しい北海道を目の当たりにすることになった。
北海道に来るのはこれで4回目だ。1回目はもうほとんど記憶に残ってないが小さい頃に家族に連れられて函館へ。2回目は高校の修学旅行で、たしか10月頃に札幌・旭川・美瑛・小樽などの各地へ。昨年の祝津が3回目。その3回とも、悪くない天気だった。少なくとも命の危険を感じることはなかった。

函館に来たのは、ある人に会うためだ。その人に会ったときの動画はYoutubeにすでに投稿しているので、誰だか分かる人もいるだろう。その人はFC RICH(以下、FC)さんである。
日本VRIクラブチャンピオンシップの優勝カップを届け、インタビューをし、eセーリングの今後について話しあう。これが私の果たすべき任務であり、それは1日目の昼過ぎに終わった。

1日目の朝、函館空港に到着すると、大雪のなか、FCさんが車で迎えに来てくれた。世界選手権のときのFCさんと雰囲気が違うように感じたのは、服装と髪型のせいだろうか。しかし、顔付きも変わっているように見えた。5ヶ月近く経っているので無理もないだろう。FCさんも、私の変化を多少なりとも感じていたに違いない。
Discordでよく通話している仲とはいえ、いざ面と向かって話すとなると、しばらくは距離感が掴みきれないものである。それに雪がひどくて、視界も道も悪いので、たくさん話しかけて運転の邪魔をするわけにもいかない。さらに、人の車に乗せてもらっているときは気持ちが落ちつかず遠慮がちになるという心理も働き、私は助手席でそわそわしていた。
その日の段取りはまったく決まっていなかった。まず撮影ができる場所を求め、函館駅の構内に立ち入った。案の定、ベンチのあるスペースには人がたくさんいた。すぐその場を後にし、北大の函館キャンパスに向かった。そこしかないだろうとは思っていた。雪は止む気配がなかった。
FCさんの運転は安全だったが、車線が見えないのでどこを走ればいいのかわからなくなったり、ワイパーに付着した雪が氷になっているためにフロントガラスの一部が拭かれず前がクリアに見えなかったりと、心配な要素は多かった。それでも、怖い思いはあまりしなかった。

函館キャンパスの休憩スペースで撮影を終え、豚丼屋で昼食を取り、明るそうでもあり暗そうでもあるeセーリングの未来について話しあった。食べおわってから、だいぶ長いこと居座った。たくさん食べた後なのと、私はその日4時台に起き、FCさんは3時台に起きていたこともあって、私たちは眠気に襲われた。そのまま眠ってしまいたかった。
しかしFCさんが私を接待するべく、函館山方面にあるクレープ屋へ連れていってくれることになった。函館でおすすめしたい場所がなかなか見つからないFCさんがやっとの思いで提案してくれた。FCさんも初めて行くお店らしい。
クレープ屋へ向かうとき、海沿いの橋を渡った。雪が降りやむ瞬間があったものの、空は相変わらず薄暗く、橋を渡りおえてしばらくするとまた降ってきた。
目的のクレープ屋に向かうには、坂を上らなければならなかった。雪の積もった、わりと急な坂を上った。すんなり上れたので、あとは平らな道をまっすぐ行けばクレープ屋だった。しかしそう簡単にはいかない。山の麓だからか、雪がいっそうひどく降ってきた。しかもワイパーが雪のせいで動かなくなった。前がほとんど見えなくなった。昔見た映画「ミスト」が思いうかんだ。
お店から少し離れた駐車場に車をとめ、ワイパーが動くように、氷の塊と化した雪を取り除いてから吹雪にさらされつつクレープ屋へ向かった。FCさんが一番人気のいちごを注文した後、私は特におすすめされていないりんごを注文した。いちごも気になっていたし、他の種類も気になっていたが、こんな天気のときはりんごしかありえないと思った。できたてのクレープを車まで早歩きで運び、冷たくなる前にと急いで食べたらパリパリの具を誤って吸いこみむせた。

雪はひたすら降りつづいていた。行くあてもないので、海沿いの道をドライブすることになった。セーラーは天気がどんなに悪かろうと海の近くに行きたくなってしまうものだ。
天気がよければ函館湾を一望できる海沿いの道をひたすら走った。といっても私は助手席に乗っているだけで、FCさんが懸命に運転していた。大型車の後ろを走っているときは、積もった雪が大量に舞いあがり、ほとんど何も見えなくなった。道路の中央線が見えないので、急に現れる対向車とすれすれにすれ違うこともあった。
私たちはeセーリングについて話したり、たわいもないことを話したりした。西のほうに向かってドライブを続けていると、雪がひどくなるときもあれば、雲が薄くなって太陽がぼんやり見えるときもあった。雲の合間に青空が見えることもあった。鮮やかな色がついた海は、温かそうに見えた。
気づけば北斗市を越え、木古内町に入っていた。いい引き返しどころが見つからなかったし、早く函館に戻ってもすることがなかった。できることもなかった。だから木古内駅を目指した。
木古内駅の近くまで来ると、右折する場所を何度も間違えた。FCさんのせいではなく、雪のせいだ。木古内駅を時計回りに回航し、来た道を戻った。木古内駅でしたいことは特になかった。
空がまた一面曇ってきた。天気が回復しそうな予報も一時は出ていたが、雪が降りやむ気配はなかった。日が沈みはじめ、空は暗くなっていった。前の車のテールランプだけが頼りだった。安全のために速度を落としたくても、先行車両に置いていかれないように一定の速度を保たなくてはいけなかった。
片側一車線の雪道で追い越しを試みる車があった。その車は私たちを追い越した。その車はとても急いでいるらしく、もう一台追い越そうと中央線を跨いで走ったりした。結局もう一台追い越すのは諦めたらしかった。追い越そうとしていた車は大型車だった。
私は疲れと眠気を感じていた。ドライブをしつづけているので車内は温かい空気で満たされていた。少し暑いくらいだった。FCさんには言えなかったが、往路の途中から、その籠もった空気のせいで少し頭が痛くなっていた。頭痛を感じはじめてからしばらく時間が経つといくらか和らいだものの、新鮮な外気が恋しかった。でも寒いのは御免だった。
店の立ち並ぶ市街地に入ってから函館駅に着くまではあっという間だった。駅の近くで降ろしてもらい、FCさんと別れた。
ホテルの隣にあるラーメン屋が現金のみだったので、コンビニで下ろしてきてから食べた。函館はキャッシュレス決済、特にタッチ決済があまり普及していなかった。私はクレープ屋でFCさんに借金をしなければならなかったほど現金を持っていなかった。

疲れているはずなのに深く眠ることはできなかった。途中で何度も目が覚めた。目がかすむように感じるなか、ホテルで朝食をとり、8時ごろにチェックアウトした。あまり食欲が出ず、そこまでたくさん食べられなかった。
インタビュー撮影後すぐに返還してもらった優勝カップをコインロッカーに預けた後、函館山方面へ向かった。この日の朝は気持ちよく晴れていて、風は弱かった。散歩で心地よく汗をかいて、爽やかな一日になるだろうと期待した。
駅周辺は言うほど積雪している感じではなかった。車や人がたくさん動いていたし、除雪作業がすでに進められているようだった。人が通っていない道は柔らかい雪が積もっていた。「道」について考えながら、昨日はあまり歩かなかったので元気を持てあましていた私は新しい道を作ることに夢中になった。
函館山に登る前に海沿いを歩くことにした。ヨットが見えた。近くから見るために緑の島に入った。管理人が雪かきをしはじめたばかりで、島内はまだほとんど足跡がなかった。ヨットに近づくため雪に一歩踏みこむとやはり深かった。雪の積もった桟橋とヨットを見て満足すると、そのまま島の外側をひと回りすることにした。場所によって雪の深さは違い、膝下がすべて埋まってしまうほど深い場所もあった。海は凪いでいた。昨日の夜まで吹雪いていたとは信じられないほど穏やかで美しかった。美しいのは海だけではなかった。海沿いの街並みも、その奥に見える山並みも、日の光を受けて生き生きとしていた。
緑の島を出ると、次は近くにあるマリーナを訪れた。こっちはプレジャーボートが多かった。フェンスのおかげで気分があまり高まらず、マリーナをすぐ後にして近くのコンビニに寄った。おにぎり2つだけを買った。飲み物を買おうか迷ったが、ホテルの自販機で買ったバナナミルクコーヒーが半分くらい残っていて、それで足りると判断した。レジの店員に「おにぎり温めますか」と聞かれた。今すぐ食べるつもりはなかったので「大丈夫です」と答えた。
コンビニを出て、函館山のハイキングコースの1つ「観音コース」の入り口を目指した。地図を頼りにそれを探した。見ていた地図はおおまかなものだったので、なかなか見つからなかった。その辺りの寺院や神社の敷地の中に入り口があるという情報を見つけ、そのとき目の前にあったお寺の中に入ってみた。地元民と思われるご婦人とすれ違い、私は尋ねることにした。この先に入り口はないというので、そのご婦人と一緒にお寺を出た。そのご婦人は親戚かどなたかの命日でお墓参りに来ていたらしい。
私はまた入り口についてスマホで調べ、確かそうな情報を見つけた。ある坂の上にある神社に行くことにした。ご婦人はその神社の名前を知っていた。神社に向かおうと交差点を曲がると、ご婦人も家がこっちのほうにあるというのでもう少し一緒に歩くことになった。旅情を噛みしめつつ、坂の途中でご婦人と別れた。
神社に着くと、敷地内の雪かきをしている別のご婦人がいた。私が階段を上っても無視して雪かきを続けていたので、私から声をかけた。入り口の方向を教えてくれたが、木の裏にあるらしくそこからはよく見えなかった。さっきのご婦人と同じく、頭から爪先まで眺められて心配された。普通の運動靴を履いていて、服装も雪山に登ることを考えたものではなかった。さっきのご婦人に心配されたときと同じく、危険を感じたら引き返すと言った。入り口のあるらしいほうへと近づいた。

雪のせいでぱっと見だとわからなかったが、たしかに入り口のような雰囲気があった。入り口は少し高い段になっているようで、その前に踏み台があるらしかった。雪に埋もれていたので、適当に足を出して適当にのぼった。
のぼると道が奥にのびているのがはっきり見えた。足跡はなかった。葉のない木に雪が積もっているのは緑の島などでも見たが、山の中で見るその光景は別格だった。木や枝の隙間から海が見えるのもよかった。景色に癒されながら、ほんのお散歩気分で奥に進んでいった。
少ししてロープで道が遮られているのに出くわした。ロープの向こうに立て札や観音コースの情報が書かれた道標が見えたので、ロープをくぐったら滑りおちてこけた。ロープの向こう側の坂が思いのほかきつかった。何はともあれ、これで観音コースに入ることができた。観音コースにも足跡はなかった。
ここに来るまでの道も雪は深かったが、観音コースでは同じくらいの深さがひたすら続いた。それに加えて勾配のきつい箇所も増えてきた。道幅が狭いところや、枝が道に張りだしているところもあり、歩くのは難儀だった。厚着をしていたこともあり、汗がたくさん出てきた。上着を1枚脱いでもまだ暑く、もう1枚脱いだ。それでもまだ暑く感じるのは、上下とも着ているユニクロのヒートテックのせいだろう。昨日味わった寒さに怯えて着てしまっていた。平地を歩くだけなら着ておいても正解だった。
汗をかいた分だけ水分補給をしなくてはいけない。ここで私は自分の過ちに気づいた。汗を多少かくだろうが基本的に寒いのでその量なんてたかが知れてるし、山頂に着いてから飲み物を買えばいいと思っていた。しかし、いくら急いで歩いても山頂はおろか、途中で何度か横切るはずの車道も見えなかった。思ったより先に進まないのも、大量に汗をかくのも、雪のせいだった。息もあがってきて、長距離を走っているときのように胸が苦しくなってきた。冷たい空気を吸いこんで体の内側は冷やされているのに体の表面は暑く、変な気分になってきた。水分補給が満足にできないなら、せめてエネルギーは補給しておいたほうがいいと考え、おにぎりを取りだして食べた。ここでまた自分の失敗に気づいた。おにぎりは冷えきっていて、なかなか喉を通らなかった。噛んでも噛んでも食べにくかった。コンビニで温めてもらい、すぐに食べておくべきだった。あるいは冷えていても食べやすいものを買うべきだった。
私は焦りだした。今すぐ引きかえすべきか迷った。引きかえすにもだいぶ距離を歩かなければならなかった。山頂は確実に近づいてきているので、あと少しで車道に出られることを期待した。しかしその車道はなかなか見えてこなかった。途中で正しい道を外れてしまっている可能性も考えた。ご婦人たちの忠告を無視したことを後悔した。大声を出しても周りに人はいないし、スマホで助けを呼んでも、誰かがここに着くまでには時間がかかる。
函館山を甘く見ていた。標高が300m程度、観音コースは1km程度という情報を正しく理解できていなかった。雪が積もっていなかったらそこまで厳しくなかっただろう。雪をなめていた。私はこの日まで雪の怖さをまったく分かっていなかった。ニュースで雪の事故やトラブルを聞いたことは何度もあるが、それらはただの情報だった。大学時代、スキーやスノボで知った怖さは、坂と速度に対する怖さだけだった。自然界にある他のものと同じように、雪そのものが力を持っているということをはじめて理解した。海や川、雨や風と同じく、人の命を奪う力を持ちうることを理解した。
足先も冷たくなってきた。多少雪の上を歩くくらいなら普通の運動靴でもあまり濡れないが、歩きつづけると乾く暇がなかった。深い雪の上を歩きつづけていたので、ズボンと靴の隙間から雪が入ってきて、靴下や靴の内側が徐々に濡れていった。私は凍傷を心配した。以前、北大の学生に、身近で凍傷になった人がいるという話を聞いたのを思いだしていた。北海道は凍傷が起こりうる場所なのである。海でいくら爪先が冷やされても無事だったが、雪道のほうが冷たいはずだった。足の状態を確かめ、温めるためにも、もたもたしていられなかった。
正確な時間は分からないが、コースに入ってから30〜40分、あるいはそれ以上経過したとき、木の少ないエリアが少し先に見えてきた。それが車道だとすぐに気づき、助かる希望が見えてきた。出口が見えてからはあっという間で、最後のきつい傾斜をのぼりきって車道に出た。車道はすでに雪かきがある程度されているようで、滑りやすい箇所はあるものの歩きやすかった。人や車は通らず、近づいてくる気配もなかった。車道に出て少し安心したが、疲弊していることに変わりはなかった。特に心臓が苦しかった。休むために腰を下ろしたら冷たかったのですぐ立った。

車道を横断してコースの続きを目で確認した。今登ってきたのと同じような道が続いていた。道標に書かれた地図を見ると、ちょうどここが観音コースの中間地点らしかった。あと半分だった。まだ半分だった。進むのは明らかに無理だった。車道のルートで山頂を目指すと歩く距離が増えるし、緩やかだとしてもこれ以上坂を上れる自信がなかった。とにかく生きて函館から帰らなければならなかった。どうしても山頂に行きたいという気持ちは別になかったので、簡単に諦めることができた。息を整えながら車道をゆっくりとくだりはじめた。
しばらく人を見かけず、心配は続いた。それでも汗はひいていき、心拍数も落ちついてきたので倒れることはないだろうと思った。足先は濡れたままで冷たかった。
頭上高く、木の枝に雪が塊になって積もっているところが何ヶ所もあったので、落雪には注意した。2つのヘアピンカーブを越えてしばらくすると、ランナーが坂を上ってくるのが見えた。すれ違うときに挨拶を交わした。山では挨拶が大事だというあやふやな知識を思いだした。その後も何人かの登山者とすれ違った。
途中で麓側の景色がひらける場所があった。街とその両側の海が見えて満足した。むしろ山頂から見るのとは少し違うアングルでこの景色を見れた特別感がうれしかった。長く立ちどまるわけにはいかないので、適当に写真を撮ってからまた下山を急いだ。
ついに車道の出入り口に着いた。飲み物が欲しかったが、住宅地が続き、自販機すらなかった。少し気になっていた公園も気づかずに通りすぎた。そもそも寄り道をするほどの元気はなかった。函館駅方面にある金森赤レンガ倉庫を目指して急いだ。市電の通っている大通りに出て、道が平らになると、ようやく落ちつけた。自販機やコンビニは見るだけで安心できた。いつでも買えるようになったので、自販機もコンビニも利用する気が失せ、目的地へ向かって歩きつづけた。
飲み物よりも靴下が欲しかった。コンビニで靴下が売っているかもしれないという発想はこのとき浮かばなかった。コンビニで靴下を買ったことがなかったからだ。いつかまた出先で急に靴下が必要になったら迷わずコンビニに寄ろうと思う。そしてレジで店員さんに「靴下温めますか」と聞かれたら、はにかみながら「お願いします」と答えるのだ。

金森赤レンガ倉庫に着いた。倉庫に入ると、そこには函館山の恐ろしさを知らない観光客がたくさんいた。いや、そんな他人のことなどはどうでもよかった。あたたかかった。暖房がきいていた。足の先まで暖かさを感じ、靴が乾いていくことを期待できた。それでもすぐ乾くはずはなかったし、靴下が濡れている不快感を解消したかった。
倉庫には、いくつかの店舗が入っていた。北海道ならではのお菓子屋やスイーツ屋などには見向きもしなかった。靴下のあの愛くるしいフォルムだけを探していた。すぐに服屋を見つけた。靴下も見つけたが、子ども用のサイズしか扱っていなかった。しかし、そのお店で陳列している服のデザインに興味をひかれた。
知らないブランドのお店だった。それもそのはずで、ここで取り扱っている商品は、この店舗限定で販売しているらしかった。通販もないらしかった。なかなかうまい商売だと思った。ロゴやデザインが好みだったことに加え、それが海外の文豪をモチーフにしていたことで私は買わなければという気持ちになった。正直、なぜヘミングウェイの名を借りて服を売っているのか少し気にかかったが、函館山から生還した安心感や達成感のせいで、細かいことは気にならなかった。
お気に入りの服を見つけようとうろうろしていると、店員のお姉様に声をかけられた。汗くさいはずの私を相手に、嫌な顔ひとつせず接客してくれた。Tシャツとパーカーが欲しいと伝え、いくつか商品を紹介してもらった。じっくり選んで1枚ずつ買うことにした。お姉様に声をかけられる前にいくつか値札を見ていたので、金額は覚悟していた。昨年の浪費生活を反省し、今年1月から節約を意識した生活を送っている私にとっては痛い出費だった。
いい買い物ができたと満足しそうになったが、肝心なものがまだ買えていなかった。他の店を探したが、キャラ柄のものや、サイズが少し小さいものしか見つからなかった。他の倉庫を回ってもなかったので、サイズが少し小さい靴下で我慢しようと先ほど訪れた店に戻った。
念のため店内の商品をひと通り見てみると、ちょうどいいサイズの靴下が置いてあった。黒の長めの靴下で、温かさを売りにしていた。1足でこの値段ならまずまずだと思っていたら、2足セットだった。あまりの安さに驚いた。靴下というものは、どうしてこんな複雑な形状をしているのにこんなに安いのだろう。
買ってすぐ履こうとしたら、靴下をまとめるためのプラスチックのあれが手でちぎれなかったので購入した店に戻って切ってもらった。汗くさいはずの私を相手に、ここの店員のお姉様も快く対応してくれた。
近くのベンチで靴と靴下を脱いだ。足指の色が変わったりはしていなかった。買ったばかりの靴下を履き、靴を履きなおした。私の孤独な戦いが終わった。

また他の倉庫に行き、自販機で温かいお茶を買い、温かいおかきを食べ、存分にくつろいだ。くつろぎながら、この後の予定を考えた。帰りの飛行機まで時間があるので、空港まで歩くことにした。そのコースをある程度決めてから倉庫を出た。
優勝カップをコインロッカーから取りだすと、ひたすら歩いた。川沿いや市電沿いを歩き、いくつか公園などに寄った。雲が出てきて、雪が降ってきた。川面が凍っているところがあったり、市電が茶色くなった雪を跳ねさせながら走ったりしていた。午前中の登山のおかげで、私は股関節に痛みを感じていた。優勝カップの持ち運びにくさと重さが確実に負荷となっていた。ある川沿いの歩道はまだ人の通った跡がなく、無理してその道を通ったらまたひどく汗をかいた。
夕方になると、雪の降り方が少しひどくなってきた。地元民がそうしているように、傘はささなかった。猿が見られる植物園のそばを通った。入ろうか迷ったが、もう閉園間際で、一瞬猿を見るためだけに入園料を払うのは嫌だった。猿のために財布を取り出したりするのも億劫だったので、そのまま通りすぎて空港へ向かうことにした。公園の横の道を通り、何度か道を曲がるともう空港だった。函館空港の看板は、雪に降られながらぽつんと佇んでいた。
空港に着くと、優勝カップを預けてから海鮮丼を食べた。意識して選んだわけではないのに、具の中にうなぎがいた。おいしかった。土産は何も買わず、濡れた靴下をまた履きかえ、遅延した飛行機の出発を待った。

歩きまくって疲れてくると、感傷的な気持ちになるものだ。私は空港に着く前、飛行機の着陸のために設置されている進入灯が点滅するのを近くで見て、無性に一句作りたくなった。俳句と呼べるほどのものではないだろうが、その句を書きのこして、この紀行を締めようと思う。

雪の夜にとける進入灯の音

KG-R

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