寝る前にレッドブルを飲んだせいか、3時間ほどで目が覚めた後、眠れなくなった。睡眠導入として愛用している窪田等の朗読を聞いてみても眠れなかったので、途中から諦めて笑える系のラジオを聞いたり、大会の後にたくさん来た連絡に返信したりして、外が明るくなるまで過ごした。その間にも、ナンの香りは何度も私の鼻に入ってきた。
おなかが減ってきたので、朝ごはんとしてナンを食べることにした。ホテルの朝食サービスを最終日は利用できないと思っていたが、後で聞いたところによると利用できたらしかった。それを知っていたとしても、私は一晩中ナンの香りをかいでいたから、すっかりナンの口になっていたし、保存方法の雑なナンをいつまでも放置するわけにはいかなかった。
カレーも何もないので、ナンにそのままかじりついた。固くなっているかと思いきや柔らかさを保っており、味もしっかりついていた。私は窓の外を眺めながら、この栄養バランスの偏った朝食を心ゆくまで楽しんだ。
あとは荷造りを済ませて部屋を出るだけだったが、この荷造りになかなか時間がかかった。まず2枚のプラカードの持ち帰り方を考えた。サイズ的に折らずにそのまま預け荷物にするのは難しく、折ったとしても預け荷物用のドライバッグには絶対入らないので、リュックに入れることになった。
名前のカードは簡単に2つ折りにでき、リュックにすっぽり入った。問題は賞金のカードだった。名前のカードよりも大きくてなおかつ硬かった。3つ折りでは入らないのでまずは同じ方向に4つ折りするしかなかった。何の道具もなしにきれいな4つ折りにすることはできず、巻いていく感じでまとめることはできなかった。そこで、M字に折りたたむことにした。
M字に折ったプラカードは、両側から強い力で抑えこまないとぺしゃんこにはならなかった。圧縮するのは諦めてM字に開いたままリュックに入れると、それだけでリュックのほとんどのスペースが埋まった。とはいえ、Mの隙間に3つの三角柱状のスペースが残っていた。そこに預けない小物荷物などを入れていくと、ぴったりその隙間にフィットした。
忘れ物がないかの確認を念入りにしてから11時前に部屋を出て、フロントでチェックアウトした。
外は前夜からの強風が残っていて、時々小雨が降った。私はホテルと道を挟んだ向かい側にある公園に行った。そこには大きな池があり、水鳥がいそうだった。
公園の敷地に入ると、さっそくカササギが何羽もいた。遠くて模様はよくわからなかったが、名前が分かりそうな鳥や、まったく見たことない鳥などいろんな種類の鳥が木に止まっていた。ここは鳥たちの楽園だった。
園内をもう少し歩くと、原っぱが広がっている場所があった。その原っぱの上に、鳥の群れが歩いているのが見えた。近くにカササギも歩いていたので、その鳥がそこそこ大きいことは遠くからでもわかった。
近づいていくとカササギは逃げたが、その群れはかなり近寄らないかぎり逃げなかった。頭と首と脚が黒いその鳥は後で調べたところカナダガンという名前らしかった。
どこかに飛んでいかないうちに写真をたくさん撮ってから、自分の目でじっくり観察した。もこもこしていて暖かそうだった。突進してきたら困る大きさだったが温厚な性格らしく、こっちが止まっていれば向こうから距離を縮めてくることもあった。
最初に見つけた群れとは少し離れた場所にも群れがあり、2つの群れが合流していくのをうっとりと眺めた。群れの写真をまたたくさん撮っているうちに、1羽だけ色の違うガンが混ざっていることに気づいた。カナダガンが雄と雌で色が違うタイプの鳥だとしたら、雄と雌の比がめちゃくちゃなので、別の種類なのだろうと思った。あとで調べたらやはり別の種類で、全体的に茶色で、くちばしと脚が黄色いその鳥はマガンという名前らしかった。日本でも、カルガモの群れの中にマガモが一匹混ざっている光景などはよく目にする。
その群れの邪魔をしないようにその場を離れた。数十メートル離れたところに、3羽のカナダガンがいた。そのうちの1羽が座ったまま首だけを動かして草を食べていた。さっきの群れにそんな食べ方をしている個体はいなかった。何か特別な事情があるのかもしれないと思ったが、好奇心が勝ってしまいゆっくりと近づいてみた。立っていた2羽は距離を保つために先にゆっくり遠ざかっていった。かなり近づいてから、座っていた1羽がめんどくさそうに立ちあがって歩きだした。
私はその怠惰でかわいらしいカナダガンを見れて満足したので、公園を後にした。ちなみに公園では散歩する人を何人か見かけたが、傘を差している人は私を除いて一人だけしかいなかった。
荷物が多く、帰りのフライトのために体力を残しておきたかったので本格的な観光は諦め、あとは Solna 駅前のショッピングモール内を少し歩くだけにした。
前日の朝と同じ入口から入ろうとすると、前日の朝と同じようにあけさんが出てくるところだった。この後の計画を共有してから別れた。
ショッピングモールの各階をひと通り歩き、お土産を適当に探した。惹かれるものが見つからなかったので、駅側の出口近くにあるベンチに座り、Kazuki さんたちを待つことにした。自分で用意して余っていたお菓子を食べた後、前日に試合会場であけさんからもらっていたチョコボールを開けた。銀のエンゼルが当たった。
Kazuki さんたちと合流して駅へと向かう途中、チョコボールのお返しに銀のエンゼルをあげた。電車のチケットの買い方はすっかり覚えたので、空港行きの追加料金も支払ってスマホでチケットを買った。なのにQRコードを改札にかざしても反応しなかったので、駅員にその画面を見せて改札を通してもらうことになった。
空港に着き、別のターミナルから出発する Kazuki さんたちと別れると、ひとまず改札近くのベンチに座った。残っていたお菓子を食べきり、それからレッドブルをゆっくり飲んだ。
それから近くの売店を物色した。バッグのスペースにあまり余裕がないので、自分用のTシャツだけ買おうと考えていた。好みの柄がなかなか見つからなかったので、荷物を預けるカウンターに向かった。
飛行機の出発は18時ごろで、カウンターに着いたのが14時ごろだったので、まだ受付が始まっていなかった。近くのベンチで待った。濡れていた折り畳み傘を広げて乾かした。
近くには韓国の若者が集まっていた。一度写真撮影を求められていたところからみるに、DreamHack で開催された大会に出場したゲーマー集団のようだった。
写真を整理したり、漫画を読んだりしていると、Oscar が歩いてくるのが見えた。向こうもこちらに気づき、少し話した。Oscar は私と同じターミナルからそろそろ出発するとのことだった。
受付が始まる前からカウンターの列が長くなってきていた。私は列が動きだしたのを見てから列に並んだ。目の前には、背が高く、タトゥーの入った2人組の女性が並んでいた。
順調に列が進んでいくなか、途中から警察官が2人現れ、列の前のほうでパスポートのチェックを始めた。パスポートを見ると特に言葉も交わさず返していくので、荷物預けをスムーズにするための事前確認なのかと思った。
緊張しながらパスポートを準備して列を進んでいった。そして目の前の2人組の女性がパスポートをチェックされると、さっきまで無言でパスポートを返していた警察官が、彼女らに質問をしだした。二言三言の後にその2人は列から外され、どこかに連れていかれた。警察官が1人残っていたのでパスポートを渡そうとすると、「いやいい」と手で示された。その警察官も少ししてからその場を離れた。
それからもう少し待つと受付が次の番になり、「Nästa」と言われてカウンターに案内された。行き先や荷物についての会話を終えると、その女性スタッフが、もっといい席が空いているから移してあげましょうと提案してくれた。どうしようか迷っていると、とにかく前の座席のほうがいいと思うよとおすすめされたので、移してもらうことにした。ストックホルムからイスタンブール行きの便だけかと思ったら、イスタンブールから羽田行きの便も良い席に変えられますよと言われた。元々が窓側で、通路側がよかったのでそちらを選ぼうとしたらそれはできないとのことだったので、窓側のまま前に移してもらった。
自分より前にたくさん人が並んでいたのに、自分だけそんなに優遇されるのは不思議だった。今回利用したターキッシュエアラインズは、オンラインチェックイン後にランダムで決められた席の変更が有料だった。もしかして世界選手権の運営の誰かが航空会社に連絡をして、良い席を用意するように取りはからってくれたのかと空想した。
荷物を預け、次いで手荷物検査を終えると、ゲートに向かうまでの土産物屋でTシャツを物色した。先ほど入った店よりも種類が多かったので、お気に入りの柄を見つけることができた。コンビニでパンとスムージーを買って小腹を満たしてから、簡単な出国審査を終え、ゲートの前で待った。待っている間、なぜか無事に帰れるのだろうかと考えたりしていた。あまり眠れていないこともあり、頭は少し重かった。
エコノミーの最前列だったので前方にスペースがあって快適だった。一方で、帰りの空の旅を安全に帰れるかどうかがどうしても気がかりだった。世界3位になり、銀のエンゼルが当たった今、私は運を使い果たしてしまい、次は何か悪いことが起こるのではないか、と最初は冗談のように思っただけだった。その小さな不安が私の制御を無視して徐々に育っていった。
離陸してしばらくは大丈夫だったが、機内食が出て、それを食べているうちに嫌な暑さを感じはじめた。自力では治まりそうになかったので薬をのんだ。それからもう少し機内食を食べたものの、完食はできなかった。パックに入った水は、パーカーのポケットに入れておいた。
靴下を脱ぎ、ズボンの裾をまくり、できるかぎり涼しい格好になった。音楽を聴くのもいやになり、イヤホンを外して目を閉じた。脱いでいたパーカーのポケットにパックの水を入れていたことを忘れて、何かの拍子にそこに圧力を加えてしまった。腰まわりに冷たさを感じたので、慌ててパックの水を取りだしてそれ以上こぼさないようにして、濡れたところを機内食についていたナプキンなどで拭いた。冷水が肌に触れたことをきっかけに、感じていた暑さが少し和らいだ。残った水に指をつけ、首まわりに塗ったりしてさらに涼をとった。
目を閉じているうちにすんなり眠り、目が覚めたころには寒く感じるくらいだった。着陸予定まで1時間もなく、あとは不安も症状もほとんどなくイスタンブール空港についた。
羽田行きの便の搭乗開始まで2時間くらいあった。おなかはすいていなかったので、ただ空港を散歩して待ち時間を過ごした。行きのときは見つけられなかったエアポートミュージアムを見つけた。トルコの歴史ある観光名所の写真が並んでいた。イズミルの遺跡の写真もあり、日本を出る直前に話しかけてきたお兄さんのことを思いだした。
1時間ほど散歩すると、ゲート情報が出たのですぐゲートに向かった。ゲートに近づくにつれて日本人が増えてきて、もう日本に帰ってきたも同然だった。
ゲート前の椅子に座ると、なぜだか鼻水が止まらなくなった。何をしても鼻水が出てくるので、手持ちのティッシュがどんどん減っていった。
ゲートからバスに乗りこみ、搭乗口の前まで移動した。飛行機に対する不安はまだ少し残っていた。窓際の席に座ると、出発前の飛行機にこもる熱気を不快に感じた。搭乗が終わっても、私の隣の席は空いていて、2つ隣には1人座ったが、その人は離陸前か離陸後のどこかのタイミングで他の席に行ってしまった。私は3席を独占できることになり、体調が悪くなってきたなかでそれだけが救いだった。
離陸から1時間くらいは眠気のままに眠った。起きてから機内食が届いたので、今度は涼しげに完食した。それから気分転換のために Young Women and the Sea という映画を見た。イギリスとフランスの間を泳いで渡った女性の話で、私はその主人公の生き様と強さに心を打たれた。
映画を見終わるとまた少し眠り、次は Mother, Couch という映画を見た。この映画は英語の字幕が用意されてなく、内容もやや難解だったので、正直深く入ってはいけなかった。ただ、家族の間に生じる複雑な感情を描いている点と、物語の終わり方はまあまあよかった。映画を2本見てもまだまだ時間が残っていた。鼻水も止まらなかった。機内はとても涼しかった。
2席使ったり、3席使ったりして、時おり姿勢を変えつつ目を閉じた。着陸の2時間半前くらいに2度目の機内食が出た。空腹だったので全部食べたが、頭痛がひどかったり、鼻水が出つくしてから鼻が乾燥してひりひりしたり、とにかく体調がすぐれなかった。
羽田に無事着陸したとしても、そこから家に帰れるのかが心配になってきた。不安が徐々に大きくなってきたので、着陸1時間半前くらいに薬をのんだ。余計な不安は軽減したが、しんどいことには変わりなかった。
着陸に向けて飛行機の高度が下がっていくと、耳が痛くなってきた。耳抜きをしても左耳は改善しなかった。耳も鼻も頭もやられて、全身に疲れがたまっていたので、何もやる気は起こらなかった。眠ることすらできなかった。
着陸して飛行機を降りても、左耳はあまりはっきり聞こえないままだった。預け荷物がなかなか出てこず、待っている間はかなりつらかった。体がまた熱くなってきていた。
荷物を取り、どうにか税関のゲートを出ると、まずはレンタル Wi-Fi を返却した。売店でパンを買ってから、おなかが痛かったのでトイレに向かった。それで1%くらい回復した。トイレの鏡に映る自分の顔色は、自分でわかるくらい悪かった。
パンを食べてから、タクシーで帰ってしまいたいと思いタクシー乗り場に行くと列が長かったので心が折れ、電車で帰ることにした。私はさっき映画で見た女性スイマーのことを思いだして、気力を振りしぼった。
電車に乗ってみると、案外体調が悪化することはなかった。乗り換えで雨のなか傘を差して、夜の繁華街を通りぬけた。家の最寄り駅まであとは座って帰るだけという状態になってから、安心して少し楽になった。
最寄り駅に着くと、さらに元気が出た。重たい足で一歩ずつ地面を踏みしめた。疲労は快感へと変化していった。
しばらく止みそうにない雨が降っていた。それは心地のよい雨だった。
スウェーデン遠征記、完。
・写真コーナー
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