日本に帰ってくる最中に体調を崩し、他にもいくつかやることがあってばたばたしていた。ようやく体調が回復し、ネーションズカップの予選も終わってひとまず落ちついたので、2024年11月24日に行われたeSWC2024グランドファイナル(決勝)を今から振り返っていく。
ちなみにeSWC2023のときは、旅の途中でスマホのメモ帳にブログの一部を書きとめていたが、iOSの最新アップデート後にメモ帳のメモが度々消えるようになったため、今回の旅の途中では起こったことを簡潔に記録するだけに留めた。
さっそく旅の始まりとなる行きのフライトについて書きたいところだが、その前に旅を始められない可能性があったことについて書かなくてはならない。
eSWC2024の準決勝(セミファイナル)は9月8日-9日に行われ、9月19日に決勝の開催地(ストックホルム)とおよその時期(11月末)が発表された。10月8日に開催日が11月24日であることが発表され、その日に向けて準備を進めることになった。
昨年は準決勝が延期されたこともあって、決勝の開催地と日程が先に決まっていて、準決勝から決勝までは2週間ほどしかなかった。今年は決勝まで11週間あった。練習がいくらでもできるかわりに、モチベーションの維持が難しかった選手もいるのではないだろうか。私はそんな選手の一人だった。
私はeSWC準決勝の1週間後に行われたParis2024 Inshore Cup決勝(3位)、全日本選手権(1位)を終えるといったん肩の力を抜き、練習ペースを落とした。チームレースのコミュニティ大会に参加したり、ホームページを作ったりしていた。
eSWC決勝よりも先にネーションズカップが来るので、10月後半からはチームレースの練習がメインになった。
都立大ヨット部のコーチを務めているので、予定が空いているときは海に行くのだが、eセーリングの予定が入っていたり、予定が入るかもしれない状態などが続いて、8月以降はなかなか海に行けなかった。ヨット部のほうも大会直前でスケジュールが変則的だったり、部員がたくさんいて自分なしでも回ったりした。それに暑い日が多かったので、自分の体調の心配もあった。今年は熱中症気味に2回なっていた。
10月の最初の週末、関東インカレ予選の応援に行こうとしたが、直前の木曜夜と金曜朝に予定を入れたため睡眠不足になり体調を崩し、土曜日は休むことにした。日曜日は朝起きたときにまだ体調が心配だったため、直前で海に行くのをやめて近所の散歩に切りかえた。その散歩で1時間以上歩いたあたりで軽い不安を感じたが、近くの駅まで歩いて家に帰ることはできた。
似たような感覚は9月のeセーリング全日本選手権の日にもあった。まず睡眠不足などで体調が整っておらず、出発前に家から出たくないような気分になる。家を出て電車に乗ってからはますます不安が強くなり、家に帰って横になりたくなる。電車の中で暑さを感じてくらくらしてくる。電車から降りても暑くて、倒れるかもしれないと不安になる。
それ以外にも同様の経験は何回かあり、少しでも汗をかくと脱水症状になることを心配するようになっていた。心配することによって体がほてり、さらに汗をかいて心配が増すという悪循環だ。
暑い日に体調が万全でないとそういう状態になりやすいのだが、10月の上旬までは、涼しい日で体調が万全であれば平気で外出できた。
10月の第2日曜日は関東インカレ決勝の応援に行った。朝から大丈夫な気がしていて、けっきょく無事に森戸海岸まで行けた。逗子駅からの満員状態のバスでは少し不安になったが、天井あたりに吹く空調の風を手に当ててなんとか耐えた。帰りは江の島まで回航するレスキューボートに乗ることになり、それに乗る瞬間はすこし不安に襲われたが、日没直前の涼しい海の上を走っている間は不安などなく、むしろ景色などを楽しむ余裕があった。帰りの電車も問題なかった。
その次の日に雲行きが怪しくなった。その日の夜はeセーリングの練習会をやる予定を立てていた。しかし夕方ごろ部活動の打ち上げの誘いが来て、練習会と被った。迷った末、今まで極力避けてきた打ち上げというイベントに参加してみようと思い、最寄り駅まで向かったのだが、改札の手前で例の不安が出てきた。日が沈んだ後だったし、そこまで暑い日ではなかった。夕食を家でがっつり食べたのがいけなかったのかもしれない。
結局打ち上げには行かず、体調もおかしくなってきたのでeセーリングの練習会も開かず寝ることにした。
この日を境に、電車への苦手意識が根を張った。このときすでにeSWC決勝の日時が発表されていたので、それまでにこの苦手意識を克服しなければと思った。1か月と少ししかないため、すぐに電車に乗る練習を始めることにした。
次の日に電車に乗った。体がほてっていやな感じがしたが、深呼吸をするなどしてどうにか数駅乗ることはできた。電車を乗り換えてもっと遠くに行こうと計画していたが、出発を待っている間に不安がいよいよ強くなり暑さを感じたので出発直前に降りて、帰る方面の電車に乗った。
この後に病院について調べたという記録が残っているが、病院に頼らず自力で克服できるならしたいと考え、2日後にまた電車に乗った。今度は乗り換えに挑み、乗り換え後1駅進んだところで不安が強くなり下車した。そのまま電車で帰りたかったがもう電車に乗れる気がしなくなり、もう家に帰れないかもと思った。近くの病院に駆けこんだ。精神科の受診は予約が必要らしく、急患としてなら対応できるかもしれないとのことだった。横になれるところもなかったので病院を出て、タクシーで家に帰ることにした。最初は電話でタクシー会社に電話していたが、ふとCMのことを思い出してGOをダウンロードした。まさに「どうする?」という状況だったので助かった。
家に帰って少し落ちついたものの、途中から不安が止まらなくなり、孤独を感じ、死を恐れ、ネガティブな考えに支配された。
これは自律神経が乱れているなと感じて、自律神経に効くらしいストレッチや瞑想などをその日のうちに行い、調べているうちに見つけた仙骨枕をすぐに注文した。
次の日は食欲がなくなり朝と昼は食べなかった。できることをするしかないと思い、ひたすら寝たりストレッチなどをした。仙骨枕が届いてからはそれを使った背骨の矯正を毎日おこなった。これを書いている今でもほぼ毎日行うようにしている。
歩きでの外出すらも不安になり、家から少し離れるだけで不安になった。近所のスーパーですら遠く感じた。病院の助けが必要なのは明確になったので、近くの病院に予約を入れた。
自分でできる対処をしているうちに、普通の生活ができるようにはなったが、電車に乗れる気はしないし、歩きでの遠出もまだ心配だった。
タイミングよく会社で10月下旬から週1でカウンセリングが始まったので、自分の身に起こっていることを心理士の方に話して整理していった。
予約を入れた病院には10月末ごろに行き、先生にここしばらくのことについて話したら「予期不安だね」と予期していたとおりの返答があり、とにかく欲しかった頓服薬を処方してもらった。
11月に入ってすぐ、頓服薬を持って電車に乗ってみた。頓服薬を持っているだけで安心できると言われていたし、実際に日常生活は安心して過ごせるようになっていた。
電車はやはりだめだった。乗って少しは大丈夫だったが、途中から体がほてり、手が震えたりした。急いで頓服薬を飲んだが、目的の駅で降りるまではつらかった。電車の後に乗ったバスでは、薬が効いてきたのかあまり不安にならずにすんだ。その日はその後長時間の散歩ができたし、帰りは薬を飲まずに電車に乗れた。
涼しくなってきたのが後押しとなってか、外に出歩くことへの不安は減った。短い区間での電車の利用と疲れるまでの散歩を繰り返して、外出に少しずつ慣れていった。たまに症状が出るものの、薬を飲めば治まるし、薬なしでも電車は少しずつ長い時間乗れるようになり、たくさん歩けるようになっていった。
日本出発の1週間くらい前には、薬さえあればスウェーデンに行って帰ってこれそうだと思えるようになっていた。薬は最初にもらったのがほとんど余っていたが、病院にもう1回だけ行き、出国から帰国するまでの6日間で飲むかもしれない最大量を持っていけるように追加でもらった。
以上が体調を崩してから復活するまでの話である。
あとでまた記述があると思うが、今回の旅で薬を飲んだのは、家を出発する直前の1回と、帰国時のフライトでの2回の計3回だけで、スウェーデン滞在中は薬をのむことなく過ごせた。
たった1か月でここまで回復するとは思っていなかった。薬の効き目もさることながら、心理士のカウンセリングも非常に効果があったように思う。
カウンセリングでは、自分が不安になったときの心境を細かく話していくことで、自分のなかで何が起こっているのかを確認していった。自分で自分を診察する感じなのだが、人に向けて話すことによって初めて気づくことがあるようだった。
予期不安の症状が悪化する要因として、追いこみすぎ、背負いすぎ、などが考えられる。私は今回、eセーリングのこと、会社のこと、部活のこと、生活のことをいろいろ抱えたタイミングで電車に乗れなくなった。
今年の自分のテーマは「飛躍」だったので、新しいことをいくつか始めた1年間だった。それで可能なかぎり努力しようとした結果、疲れてしまったのかもしれない。体調を崩してからは「脱力」をモットーにして過ごすことにしている。
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