ひとつの競技にしばらく浸っていると、こんな疑問を抱くときがあります。
「私は誰と競っているんだろう。何と戦っているんだろう」
こんな話を想像してみましょう。
Aさんがおもしろいと思う競技が目の前にあり、Aさんはその競技の大会で1番になりたいと思いました。数カ月後、大会に参加したらあっけなく優勝。なんと、自分と同じくらいの気持ちでその競技と関わっていた人はいなかったのです。
確かに、それはAさんが努力して掴みとった結果で、一定の達成感はあります。だけど、どこか寂しい。大会に向けて練習しているときは、見えない格上の相手がいることを想像していたため、必死になることができました。これ以上必死になって続けたってしょうがない、と考えたAさんはその競技から離れます。
ある日、名も無きBさんがその競技の存在を知って、のめり込みます。Aさんのような圧倒的な存在を知って、大会で1番になりたいと思いました。Bさんは、「打倒Aさん」を胸に、日々練習に励みます。数カ月後、大会に参加したところ、Aさんが見当たりません。そして、Bさんは自分の技量がまだまだであると自覚しつつ、優勝しました。
Bさんは何も嬉しくありませんでした。とても虚しくなりました。(おしまい)
大会とは、出場選手の中で順位を決めるものです。出場しない人とは競えないし、ある大会の順位はそのときだけのものです。
これについては以前のKG-Rブログにも似たような話が出てきていますし、皆さんわかっていることだと思います。
大会は開催されれば、誰かが1位になれます。それは嬉しいことでしょうか、寂しいことでしょうか。前回の記事で、「どこまでうまくなりたいかが大事」とありましたが、その目標として「この大会で何位になる」といった設定をするのは、はたして適切なのでしょうか。他にもっといい目標の定め方がありそうな気がしますが、どうでしょうか。
そうは言っても、大会は競技者の活動にわかりやすく区切りをつけるという役割を持っているので、大会は必要だと思いますし、優勝を目指したりするのも全然いいことだと思います。ただ、大会の結果だけを目標にしていると、AさんやBさんみたいに寂しく感じることがあるかもしれない、ということです。
ライバルや有名プレイヤーの出場が確定していれば、その大会に向けての練習に熱が入りやすいはず。ということで、私はeセーリングをできる限り続けて、誰かのモチベーションになれたらいいな、と思います。ま、私はまだまだ未熟なので、気を抜かずにもっと腕を磨いていきます。
Protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.
まだコメントがありません。