10月7日
試合の次の日は、フリーだった。寝過ぎ予防のアラームは設定していて、それが鳴る前に目が覚めた。6時間ほど連続で眠れた。普段と比べればそこまで多くないが、出発から昨日までと比べると、とても質の良い睡眠だった。もう少し眠ろうと思っても目がぱっちりして眠れないので、昨日のことをメモしたりトリエステの地図を見たりして時間を過ごした。
通知が来ていたのでLINEを開いてみると、いつもの画面が表示される代わりに、「他の端末で同じアカウントを利用したため、この端末に保存された情報はすべて削除されます。」という恐怖の文言が表示された。
ものすごく不安になった。急いでログインしようとしたが、ログイン方法がよくわからず、そのまま放置した。ちなみに電話番号でログインしようとしたところ、まったく知らない人のアカウントがヒットした。以前その電話番号を使っていたというだけで、その人にログインされたわけではないと思っている。(後日談:次の日の朝にログインはできた。データは何もなかった。バックアップ日時が1年以上前だった。復元方法がわからなかったので、連絡帳から友だちを自動追加した。家族と連絡がつながったので聞いてみると、すべてのグループから抜けていたみたいだが、何か怪しい使われ方はしていないようだった。日本に帰ってから、PC版でログインしてみたが、こちらも同じだった。PCにはスマホのデータが数ヶ月前に偶然バックアップされていたらしく、有料ソフトを購入して復元した。すべての友だち、グループとの関係はいったん断たれたが、トーク履歴から友だち追加はできる。セキュリティ強化、バックアップ設定の変更などをしておいた。)
せっかくイタリアに来ているのに、こんなことのために時間を取られるわけにはいかない。LINEのことは忘れて、この日の観光に気持ちを向けた。
9時ごろに部屋を出て、FCさん、muimuiさんと合流した。まずは勝利の灯台を、ということで、道を決めてから歩きだした。昨日の試合前に行ければ結果も違ったかもしれない、などと悲しい冗談を言いながらゆっくり歩いた。気になるものや気になる道を見つけたときは寄り道した。店が並ぶエリアを外れると、上り坂がきつくなり、住宅街が多くなってきた。
私は、観光客などで賑わう街中よりも、地元民しか通らないような道や場所のほうが、その土地の雰囲気をしっかり味わえる気がして好きである。
それにしても路上駐車が多かった。事前調査をほとんどしていなかったため、その光景には驚かされた。どうやらイタリアではそれが普通らしい。あと歩行者の信号無視も多かった。
勝利の灯台は、ひと言で言えば、かっこいい建造物だった。その周囲の雰囲気もよく、静かなのもよかった。展望台まで階段で上るとけっこう疲れるが、上りきった後に見える景色は格別だ。私が訪れたときは、晴れていて風は穏やかだった。きらめくトリエステ湾、浮かぶヨット、歴史を感じる街並み、豊かな自然。
バルコラーナのレースが翌日に迫っているからか、ヨットがたくさん出ていた。次の日に来られればもっとよかったが、私以外の2人は次の日の朝に帰ってしまうし、私は時間的には大丈夫なものの、同じ考えの人で混雑するのは分かりきっていたので行くつもりはなかった。
前日の食事量が多かったので、朝食は食べていなかった。勝利の灯台の近くには手頃な食事処はなかった。muimuiさんが、気になるジェラート屋を街中に見つけたというので、またしばらく歩いて向かった。
正午前にお店に到着し、たどたどしく注文した。クレジットカードは使えなそうだったので、今回はFCさんにお金を借りた。muimuiさんが私とFCさんに缶コーラをおごってくれた。ジェラートとコーラが疲れきった体に元気を与えてくれた。
店を出た後は、多くの人でにぎわっている、露店が立ち並ぶ通りにふらっと入り、テキサスバーガーを食べた。ピザやパスタには十分すぎるほど満足していたので、ジャンキーなランチが必然的に選ばれた。FCさんと同じものを頼んだら、量が多くてまた限界まで食べることになった。
摂取しすぎたカロリーを消費するためにも、たくさん歩くことにした。海辺に行き、明日のレースに向けて練習する船や出着艇する船を見て、バルコラーナの雰囲気を味わった。バウナンバーの数字の大きさからでも、その規模の大きさは十分伝わってきた。
海やヨットを見ていたら、日本の関西地方のことをよく知っているおじさんに話しかけられた。このあたりを歩いているとき、背中に大きく「日本海」と書かれたシャツを着ていた別のおじさんを見かけたが、日本が好きな人や、日本をよく知っている人がこのトリエステにも稀にいるようだった。
近くのスーパーマーケットでお土産をじっくり選んだあとはまた海沿いを歩き、バースやハーバーなどを巡った。とにかく船の数が多いのが印象的だった。ちなみに、スーパーマーケットで一度だけ、日本語が耳に入ってきた。子連れの女性客だった。eセーラーを除き、日本人はイタリア滞在中そのひとりしか見かけなかった。
海から少しだけ離れ、小さなアトラクションが2つだけある遊園地を見にいったあと、住宅街のなかを通って宿に帰った。シャワーを浴びて、日記を少し書いたり写真を整理したりしてからすぐに寝た。
10月8日
隣の部屋から聞こえてきた電話の音で目が覚めたのは朝3:50ごろ。もう人がいないはずのその部屋から声や物音が聞こえた。その部屋に泊まっていたのはFCさんだった。私とFCさんの部屋の間には、開かずの扉があり、小さな声や物音でも隣によく漏れた。
FCさんとmuimuiさんは朝4:00にタクシーに乗り、トリエステ空港に向かうことになっていた。隣の部屋からは、FCさんの声と、慌てて荷物をまとめているような物音が聞こえた。
私は部屋を出て、廊下で待機した。寝癖がついたFCさんが出てきた。聞くところによると、FCさんは一度かなり早く起きたため二度寝をしたらしい。急いで階段を降り、下で先に待っていたmuimuiさんと合流した。あまり時間に余裕がなかったので、別れの挨拶は手短に済ました。2人はすぐタクシーに乗りこんだ。
これで私は一人になった。フランクフルト~羽田間の、帰りのANAのフライトまで、日本語を話す機会はなくなった。まだ朝早いのでとりあえずもう一度寝た。
目を覚ました後は、軽くストレッチをし、荷造りを済ませ、今日歩く場所を考えた。坂を上るのは疲れるし、道に迷うのも心配なので、海辺でバルコラーナのレースを見ることにした。
9時ごろに宿を出て、昨日は歩かなかった道や埠頭を散歩し、レースが始まるまえに昨日も訪れたスーパーでTaralliniというお菓子と、ピンク色のスムージーを買った。Taralliniは語感と見た目で選んだ。この日の朝食兼昼食である。
レース開始は10:15からだった。その少し前に、人が比較的少ない埠頭の先端に行き、近くに停まっていた車の日陰に座った。日向は少し暑かった。買ってきたものを食べながら、海に浮かぶ大量のヨットを眺めた。遠いのと風が弱いのとスタート前なのとで、ヨットは止まって見えた。レースが始まってからも、動きがよくわからなかった。
3、4歳くらいの小さな男の子が、私から数メートル離れたところでちょこまかと動きまわり、「アンジャーモ!」と大きな声で繰り返し言っていた。調べてみると、「Andiamo ≒ Let’s go, 行こう」という意味だった。
バルコラーナのレースが始まったことを喜んでいるのだろうか、とほほえましく思っていたが、その両親の反応や男の子の身振りをよく観察していくと、そういうことじゃないらしかった。男の子はヨットを眺めるのが退屈でどこか違うところに行きたいから「Andiamo!」と駄々をこねていたようだ。両親は留まりたいので、「ほら見てごらん、おもしろいよ」みたいなことを言っていたのではないかと思う。
本音を言うと、私も小さな男の子と同じように、どちらかというと退屈を感じていた。しかし私は、世界最大と言われているヨットレースをぼんやり眺めているだけで満足だった。
Taralliniがどれだけお腹にたまるのかわからなかったのと、お土産用とで何袋か購入したが、200gの1袋さえ食べきることはできなかった。口の中の水分をどんどん持っていかれた。
なんとなく沖のほうを見ているだけではヨットが動いているのかいないのかわからなかったが、スタートから数十分も経つとヨットが大きくなってきている気がした。少しずつこちらに近づいているようだった。
トリエステ空港から同じ便に乗ってフランクフルト空港にいく運営陣と合流するために、11時ごろに埠頭から離れた。炭酸水をスーパーで購入して、ヨットの写真を適当な場所でまた何枚か撮影し、試合後に行ったバーでOscarなどと再会し、しばらく時間を過ごした。私以外の3人ともフランス語話者なので、しばしば置いてかれた。その後まもなくバーを離れ、トリエステ中央駅に向かった。
電車からは海が時々見えたものの、隠れることが多く、バルコラーナの写真を撮るのは難しかった。ビデオに収めることは辛うじてできた。
(10月8日~9日)
帰りの飛行機では、特にトラブルが起こらなかった。乗り継ぎ時の審査は、またも無言でパスポートを受け渡した。これが普通なのかもしれない。
フランクフルトから羽田までは少し眠ることもできた。ANAの備え付け端末は動作が安定していたので、音楽や映画を少し楽しんだ。初めてフットレストを使ってみた。
飛行機を降りてから少し嫌なことがあった。副賞としてもらったドライバッグを預けたら、1カ所、そこそこの傷がついていたのだ。副賞にワインもあったので、預けざるをえなかった。さらにそのワインが、上空で冷やされたおかげで結露していた。バッグの中には副賞の本などが入っていた。幸い被害は大きくなかったが、他の荷物がやや湿った。LINEの件もあったので、モヤモヤが残る旅の終わり方になった。
荷ほどきとLINE復元の後、夜遅くまでチームレースの練習をして、この日を終えた。私はすでに次の大会、ネーションズカップに意識を向けている。世界選手権2023はもう、はるか昔の話なのだ。
(イタリア遠征ブログ、完)
【写真コーナー】
・10月7日の観光
・10月8日の観光
・10月9日、帰国
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