土曜の夜は寝たのが0時過ぎで、何度か途中で目を覚ましながら8時ギリギリまでは目をつぶって横になり、可能なかぎり体を休ませた。
ところで、今回の海外旅行で初めてホテル用にスリッパを持参して、初日から使っていた。靴に裸足を突っこんでつま先立ちで歩いたり、諦めて裸足で歩いたりすることがなくなり、ものすごく快適だった。
朝食の受付は前日とは違う人で、容赦ないスウェーデン語がやはりとんできた。私はひるむことなく God morgon (グッモーロン)とあいさつを返し、ルームナンバーを聞かれているはずなのでそこは英語で答えた。最後は自然と自分の口から Tack が出てきた。
昨夜の食べすぎを考慮して、この日の朝ごはんは少なめにした。途中からまた Alberto と同席したので、今日の動きについて確認した。午後1時までに各自で会場に行けばよいとのことだった。少しだけおかわりをしてから Alberto を残して先に部屋に戻った。背骨矯正やストレッチ、シャワーなどで存分にリラックスをしてから11時半ごろにホテルを1人で出た。
ショッピングモールを通りぬけようとすると、ちょうどそこから出てくるあけさんと会った。 Kazuki さんのために果物などを買ってきたようだった。
開店状態のショッピングモールは昨夜通ったときとは違い、人がたくさんいて賑わっていた。
Solna 駅のコンビニで昼食用にパンを買おうと思ったがやめて、マンゴーティーだけ買って試合会場の最寄り駅 Odenplan へ行った。
こうして一人になると、街行く人の話し声に耳を傾けたくなるものである。会話の内容はむろんわからないが、電話の終わり際にHej hej(ヘイヘイ)や Hej då(ヘイドー)と言っていることだけは何度も聞き取ることができた。このヘイヘイやヘイドーの抑揚は、日本人が電話の終わり際で使う「はいはーい」に似ていることが多かった。
集合時間まで1時間ほどあったので近くの公園を見にいった。平地の公園だと思っていたらまあまあの丘になっていて、公園に入るためには階段を少し上らなくてはならなかった。足元には雪が残っていたので、転倒しないように慎重に足を運んでいった。
階段を上りきった後にもう少し坂を上ると、視界が開けている場所があった。そこから見たストックホルムの街並みが、今回の旅で見た風景のなかで一番美しかった。似たような色合いで、ほとんど同じ高さの建物が街を埋めつくしていて、すべての建物が調和していた。
公園をひと巡りしてから、時計を確認した。遠くまでいく余裕はなさそうだったので、会場の入り口を確認してから会場近くを散歩しようと思った。
地図でピンのある場所に近づいても、看板などは見えてこなかった。大きな建物の中に入っていることは確からしかったので、ドアを見つけては中をのぞきこんだ。2、3個目のドアで Red Bull の文字を発見した。まだ時間があったのでもう少し周辺を歩こうと歩きだした直後に曲がり角から Kazuki さんが出てきた。ここで「またあとで」と言ってどこかにいくのも変な気がしたので、一緒に会場に入ることにした。
中に入ってすぐのところで、Pimpi と Giovanni が話していた。奥の広いメインスペースでは、すでに来ていた運営陣が準備を進めていた。選手はまだ誰もいなかった。室内は半そでになっても若干暑いくらいで、体調が少し心配になった。
集合時間が近づいてくると、まず Farley が入ってきた。その後は昨日も会った人たちが続々と集まってきた。それから Alberto に促され、自分の席でキーボードとマウスの準備を進めた。準備している途中で Alex が来て、笑顔であいさつをしてくれた。
持参したデバイスの接続と、用意してもらったモニターの角度、高さ、明るさなどの調整を終えるころには、席近くの天井に空調があったおかげで、だいぶ涼しくなっていた。
椅子の背もたれの角度と肘掛けの高さも調節した。座面の高さも調節したかったのだがやり方がわからなかったので、レース中は座る位置を調整して対応することにした。
例のごとく、集合時間に何かが始まるわけではなく、レース開始までの細かなスケジュールは決まっていなかった。時間を持てあました私は、同じくパソコンでプレイする人たちが各種デバイスの設定で困っていたので、いちいち口を挟んで協力していた。これからレースで戦う相手が、デバイスのことでつまらない不利益を被ってほしくなかったからだ。
立派な昼飯は用意しておらず、持ってきた軽食を昼飯代わりにほとんど食べつくした。こっちのコンビニで買った謎のお菓子よりも、日本で買っておいたカロリーメイトがなんだかんだおいしかった。途中で運営が用意したピザが何枚か届き、今年はひと切れだけもらうことも可能だったが、昨年の苦い思い出があるのでやめておいた。
通信状態やデバイスの反応を確かめるために緑レースを少しだけやり、オフィサーの声かけでカスタムレースをファイナリストたちで2本ほどやった。感触は悪くなかった。
試合開始が迫ってきて、プロテスト委員会によるブリーフィングがあった。スマホを回収され、トイレに行き、あとはスタートを待つだけだった。会場に着いてから試合直前まで、これまで参加したライブファイナルのときより緊張はあまりなかった。
ライブ配信が始まったとき、私はとてもリラックスしていた。中央の大きなスクリーンを見ながら、私は特等席にいるのだと思った。かれこれ5年間も続けてきて愛着のあるeセーリングという競技の世界一を決める試合を、目の前で見られることに喜びを感じた。その結果に関与できることに喜びを感じた。そんなことを感じていられる余裕があった。
ここまでぶっ倒れずに来られただけで私の任務は達成されていた。10月に予期不安に襲われて電車に乗れなくなったとき、これはグランドファイナルに向けて良い状態を作っていくために課された試練なのだと考えていた。その試練を乗りこえた今、もう他に試練などなかった。
それに、試合の結果はいつものように運命が決めてくれるはずだった。今年も続いていた奇数月好調のジンクスが、私の味方をしてくれると信じていた。
J/70 で行う1レース目のカウントが始まると、何も深いことを考えずに並びはじめた。出遅れはしたもののコースで挽回し、あわよくば1位を狙えるところまで上がったが上マークでペナルティをもらった。1下はコースの判断が難しく、とにかく安全第一で走った。2上も前の艇にあまり妨害されることなく風の振れをつかみ、4位をキープできた。このレース内容は調子や運がいいときに見られるものだった。実際、体調はよかった。眠気はなく、頭はすっきりしていた。
2レース目の Offshore Racer は、泣く子も黙る下有利だった。昨年の決勝で下ピンをどうにか取れてもタックできなかったことが多かったことだけは今回頭に入れていて、だから消極的にやや真ん中寄りからスタートした。途中の振れでまたしても1線に生きのこれなかった。しかしコース引きや細かな操船感覚が冴えていたので、1上を5位で通過すると、その後も良いコースを引きつづけて4位でフィニッシュした。2連続4位は合格点ではあったが、まだまだ気は抜けなかった。かといって無理に気合いを入れることもしなかった。
3レース目の 49er は風がはっきりと見えず、とにかくバウを出そうと考えた。スタート直前のルーム管理は甘かったものの、下艇が早いタイミングでベアしてくれたので気持ちよく加速したらリコールした。Upwind M とコースが短いので大復活は諦め、11位から少しでも上がればよしとした。こういうところの1、2点が最後に響くものだ。どうにか9位まで上がった。
次のレースの準備中に Farley から通信不良の報告があり、予定より1レース早く休憩となった。今の9位で前の4人に少し離されたが、自分史上最強の心理状態だったので焦る気持ちはなかった。
4レース目は F50 だった。F50 のリーチングスタートは並ぶタイミングなどがよりシビアに求められるので、いつもながらほどよい緊張感はあった。だからこそスタートのやり方は大きく変えず、腹をくくってUターンスタートをした。すいていた上側から安全にスタートした結果、ようやく1線に残ることができた。不規則な風が吹いているなか、コースを大きく外すことなく3位でフィニッシュした。
5レース目で使われる ILCA という艇種は、個人的に印象的なレースが多く、とても良いか、そうでなければとても悪い順位を取りがちである。
今回は本船側で、下艇の Kazuki さんを避けながら良いスタート、良い即タックを決めることができた。と思ったら、誰もいるはずのない、自分より良い位置にasere がいた。レースが終わってから、asere がペナルティを利用してスタートしていたことを知った。
大きな右振れに合わせて左に寄せていると、風上の asere が50度くらいで走ってきた。タックするわけにはいかなかったので、同じ角度で走った。風下の Kazuki さんのブランケに入る前にベアを止めてくれたのと、ちょうどタックできる状況になったので、タックして難を逃れた。1上で3位を取ってそのまま逃げきった。
このとき、頭は試合序盤よりさらにクリアになっていた。いわゆるゾーンに入っていたのかもしれない。
6レース目は先ほどリコールした49er。リコールしないことを意識したあまり、今度はシバーを使いすぎてスピードが乗らなかった。それでもリコールするよりはましで、終盤までは7位にしがみついた。2下で Harder が asere を逃がして自分を狙ってきたのは少しつらく、派手な動きもできなかったので上突破されて8位に終わった。今日は3回に1回たたくリズムがあるらしい、と気楽に考えて結果を受けとめた。
7レース目は Nacra17 の Reaching M で、最近あまり練習してない組み合わせだったのでどうなるかわからなかった。左に振っていたので下から出ると、2線ではあったが上位に残れそうだった。どきどきの1マークで、目の前が詰まっていたのでシバーで調整しつつ3艇身ゾーンに入った。
そのとき目の前の Alex がやや大回りで回航した後にジャイブする雰囲気があり、自分がきれいに回航してジャイブしたらぶつかりそうだと思った。とはいえノージャイで行くと上側に連なった艇のブランケがきつそうだったのでノージャイを選べず、危ないと感じながらもジャイブをした。Alex が予想どおりジャイブしてきて、自分がジャイブをキャンセルすればスタボで勝てるかもと思ったが、判断が遅すぎて間にあわなかった。
Nacra の1ペナルティは重く、ほぼ最下位まで沈んだ。このケースが、今回の大会で唯一私を動揺させ、後悔の念を抱かせたミスだった。しかし落ちこんでいる暇はないので、1上では大逆転を狙って上位艇団と逆の方向に伸ばしていった。左右の振れが拮抗して、順位はほとんど上がらなかった。
以降のコース引きもよくなく、最後のマーク回航まで10位以下という厳しい展開だった。フィニッシュ直前になんとか1艇抜かして9位に上げた。
メダルレース前最後のレースは F50。優勝や上位入賞のチャンスを残すにはもう後がなかった。ここまできたら、中途半端な順位はいらなかったので、もう一度Uターンスタートに賭けた。スタート時の海面がさっきと似ていて、また下側が少し混雑していた。私はまたすいている上のほうからスピードをつけて出ることにした。今回は動きだしが早くてシバーを使うことになったが、それでもバウを出すことには成功した。
1マークを2位で回航すると、1下の回航でひやりとしながらも無傷で回航できた。さっきのF50の海面と似ていたので、反省を活かしてコースを引いた結果、2位を守りきることができた。
自分の上にいた4人も大きな失点なく8レース目を終えたため、1~3位のasere、Alex、Farley との点差は大きく、4位の Chico にも迫りきれなかった。しかしながら、表彰台に滑りこむ可能性を残すことができ、計算上は優勝も不可能ではなかった。
メダルレース前にまた休憩が入った。表彰台に乗ることを微塵も諦めはしなかった。3位以上になるためには、メダルレースは1位を取るつもりでやるしかなかった。各プレイヤーとの点差を細かく覚えることはせずにレースが始まるのを待った。仮に前を走れなくても5位以上がほぼ確定していて、昨年よりも良い順位で終われることが決まっていたのでもう満足だった。
1位を取る気持ちではあったが、ピンエンドは避けて並ぶことにした。スタート直前に目の前に他艇が止まりそうになったときは少し嫌だったが、その艇を信用してその上から出ることにした。その艇が少し左に流れてくれたので、しっかり加速してスタートできた。
左振れが入っていて、下艇にバウを出されたかと思っていたらその艇はリコールしていて、いっきに走りやすくなった。左に濃いブローがあったのでもう少し左に寄せたかったが、Alex が来たのでスタボ主張してからタックした。
もうタックを増やせなかったのでそのまま伸ばした。しばらく右に伸ばした後、周りに合わせてタックした。ここまではトップ集団がほとんど横並びになっていて、次の振れとタックタイミングで1上の順位が決まることになった。左にじゅうぶん振れて右側の艇団の前を通れるタイミングでタックした。
自分が4位の高さでスタボレイに乗ったとき、前に Farley、Alex、すぐ後ろに asere がいて、このままでは表彰台は厳しかった。とにかく Farley か Alex を抜かしたかったので、Alex に目の前でタックされたときにリスクを承知のうえで下にラップしにいった。
Alex を逃がしていれば、Farley が Alex からペナルティをもらっていたかもしれないが、Farley がうまく回航する可能性もあるし、Farley がペナルティを受けても自分が届かないか、届いてもリスクのある動きが求められる可能性も考えられた。
結果的に Alex にペナルティを与えたことで、回復直後の Alex が asere にペナルティを与えることにつながったので、良い判断だったと言えるだろう。
1下ではとにかく自分のポジションを守ることを考えていた。最初のジャイブに運よく誰もついてこなかったので、そのまま3位で回航した。2上では Lorenzoがタイトカバーをせずに自分を生かしてくれたおかげで危なげなく3位をキープできた。この時点でもまだ表彰台は遠かったが、Chico が遅れているように見えたので、4位には上がれそうだと思っていた。
2下は4位以降と差があったのでノージャイで左海面のブローを走って逃げた。Farley にジャイブしてと送られたので、ジャイブしてLorenzo に近づいてみた。 Alex と asere が即ジャイしたのでそれを少しカバーする意味もあった。Lorenzo が当然のように逃げたのでもう一度ブローと Farley に寄せるためにジャイブした。Alex と asere が風の弱い右海面の奥のほうまで行ったのを見て、運がもう一歩私に近づいたのを悟った。
ランキングの表示上で Chico が後ろに離れているのを見た私は、もう一切のリスクを負わずに3位でフィニッシュしたほうがいいと思い、2位の Farley にブランケをかけにいかず、Farley と Lorenzo を接近させて2艇が接触するのを期待した。接触は起こらず、上位3艇はそのままの順位でフィニッシュした。
フィニッシュ後は祈るように会場中央のスクリーンを見ていた。Alex と asereが他のすべての艇に抜かされながらフィニッシュする映像は、私にとってはあまりにも美しい光景だった。8レース終了時点の1位に勝つには8個差を付ければよいことだけ確かめていたので、私の順位が上がったのはすぐわかった。もしかして2位まで行ったかと思ったが、レースの順位表を見るといつのまにか Chico が4位まで上がっていたので、Chico が2位で私が3位だった。
Chico の状況を冷静に観察する余裕があれば、Farley にブランケをかけに行くべきだったということになる。Farley としても、私に抜かされても優勝できたので、激しく抵抗してこない可能性があった。
せっかくなら2位がよかったが、贅沢は言えない。何も持たずに日本に帰るむなしさを嫌というほど知っているので、3位入賞を心の底から喜んだ。見ごたえのある展開を演出した主要選手の一人になれたこともうれしかった。
表彰式や写真撮影中は興奮が冷めやらず、なかば放心状態だった。あまり細かいことは覚えていない。それでも一つだけ共有したい話がある。
撮影などの合間に、World Sailing の Claire と少し話した。昨年の世界選手権決勝でも会っており、帰国後にメールで彼女にフィードバックを送っていた。
昨年は日本勢がトリエステのホテルに深夜に到着して、すぐ翌日にレースが実施された。それによって十分な睡眠が取れず、レース中に睡魔に襲われ頭痛もあったので、来年(2024年)以降は現地に到着してからレース開始まで少なくとも24時間以上は欲しいことを伝えていた。
これまでのスウェーデン遠征記を読んでくれている方ならわかると思うが、今年のスケジュールは私が提出した意見が存分に反映されていた。スウェーデンに到着してから24時間どころか、48時間以上もあった。そのことについて、Claireに感謝を伝えた。
昨年の決勝出場がこうした形で報われてよかった。
撮影を終えた後、FPSゲームやドライビングゲームで遊んでいる他のファイナリストたちを横目にさっさと荷物をまとめて、Kazukiさんたちと一緒に会場を離れた。天気予報どおり、外は雨が降っていて、空気は生ぬるくなっていた。地面の雪は柔らかくなっており、強烈な風が吹いていた。
私たちは名前や賞金のプラカードを傘代わりにして駅へと急いだ。どこかでご飯を一緒に食べることにした。荷物が多いのでいったんホテルに帰ってからにしようかという案も出たが、ホテルに戻ったら外出する気力がなくなりそうだったので、そのまま食べにいくことにした。
Solna 駅に戻り、ショッピングモール内のレストランを物色した。それからフードコートを見つけ、各店舗のメニューを見ていった。スウェーデンに来てからまだ一度もお米を食べていなかった私たちは、カレーライスを食べることにした。
昼ごはんは軽食だけだったし、試合が終わったあとの安堵感からおなかが空いていたので、メニューは適当に選んでKazukiさんたちより先に注文した。すると店員が「ナーン?」と聞いてきた。私はそれがナンのことだか分からず、でもたぶんナンのことだろうと思い、ナンは別にいらないのに、ナンがいるかいらないかを判断するのに時間を使いたくなくて「Yes」と答えた。それから「飲み物はいかが?」と聞かれたときはすぐ「No」と言った。
1分くらいでカレーライスが出来上がり、トレーの上に置かれた。それを受けとろうと近づいたら「ちょっと待ってね♡」と言っているような笑顔を見せられ、手際よく何かを用意しだした。カレーライスの横に大きなナンが添えられてからトレーを差しだされた。
Kazuki さんとあけさんはそのすぐ後に注文したのに、ブザーを渡されて待つことになった。空いてる席に座り、Kazuki さんたちのカレーがなかなか届かないので先に食べることにした。味がよく、お肉も多くておいしかった。ライスの量も多かったので、ナンは食べられそうになかった。
Kazuki さんの反省や来年への意気込みなどをたっぷり聞いた。前日も度々話題にのぼっていたが、改めて Kazuki さんの英会話力の話が出た。Kazuki さんは来年から18歳になり、決勝に出る場合は一人で海外に行くことになるので、もっと話せるようになったほうがいい、とあけさんに何度も言われていた。
Kazuki さんたちのカレーライスも出来上がり、皆でお米のおいしさをたたえあった。全員のカレーライスがなくなった後、テーブルの上にはナンだけが残っていた。私はそのナンをビニール袋に入れて、ホテルに持ち帰った。
大会後に選手全員に配られた紙袋の中にはTシャツや帽子などが入っていて、その中にレッドブルも2缶入っていた。荷物は減らしたかったし、捨てるのももったいないと思い、ホテルに帰ってから1缶飲んだ。ナンを入れたビニール袋は、口をしばって枕横の小さい棚に置いた。2時間くらいぐだぐだした後、ナンの香りに包まれながら眠りについた。
次回、私とナンの行方。
(その4へ続く)
スウェーデン遠征記その4 ~さあ帰ろう編~ (KG-R) | バーチャルレガッタ講座 – ゲームウィキ.jp
・Grand Final 配信アーカイブ
・成績表
≈ eSWC Final 2024 ≈ (sailscore)
・写真コーナー
Protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.
まだコメントがありません。