6日午前2:20ごろ、ベッドに入った。途中で目が覚めるのはなんとなくわかっていた。4時少し前に目が覚めた。お腹が痛くて、しばらくトイレに入った。空腹を感じた。とにかく眠らなくてはいけないので、ベッドに戻ると目を閉じた。すぐ眠れたがまた起きて、尿意があったのでまたトイレに行った。次に目が覚めたときは、6:30ごろだった。もう一度眠ろうとしたが、目も頭もすっきりしていた。
これなら良い結果を期待できるのではないかと思った。まだ早いのでもう少し眠りたかったが、全然眠れそうになかった。ベッドの上でしばらくゴロゴロした。昨夜の日記を書いたりして時間を過ごした。
昨日は、飛行機に乗ってからは機内食だけしか食べていなかったので、空腹をやや強く感じていた。8時ごろに部屋を出て他の2人と合流し、海沿いの大通りに出て、カフェを探した。KJOOBから朝食をどうするか聞かれた。一緒に食べるかどうか迷ったが、すぐ近くのお店だったので誘いに応じることにした。
KJOOBだけかと思いきや、Alberto(今回の解説者)もいた。彼はイタリア人なので、とても頼もしい。注文の仕方やメニューについて教えてもらい、私はボリュームのあるパニーニ(パニーノ)と、緑茶の味を想像しながらグリーンティーを選んだ。
パニーニは抜群においしかった。チキンを揚げたものや、トマト、レタスなどの野菜がサンドされていた。かなり空腹だったはずなのに、食べきるのにひと苦労した。グリーンティーは、緑茶というよりも紅茶のような風味だった。それはそれでおいしかった。
会計を別にするなら現金だけと言われた。現金を持たなくてもなんとかなると思い、クレジットカードしか用意していなかった私は、muimuiさんに借金して支払った。あとで思えば、ここは私がクレジットカードでおごってもよかった。それは先輩風を吹かすためというより、あとで現金がどうしても必要になったときに恵んでもらうためだ。
店を出ると、会場に向かって海沿いの道を歩いた。バスもあるようだったが私たち3人とも歩きを希望した。カフェを出たのは9時ごろで、リハーサル開始の10時まではあと1時間。ほどほどに早く歩きつつ、昨夜は暗くてよく見えなかった街の景色を味わった。お腹は満たされ、頭はクリアで、体にはさほど疲労を感じていなかったので、この時点では全体的に調子がいいと思っていた。
会場のある建物に着いたものの、試合を行う部屋がなかなか見つけられなかった。閉じたドアの前にそれらしいのぼりはあったが、ドアを開けていいのかわからなかったので通りすぎて他を探した。またKJOOBに助けられ、結局その部屋に案内された。ちなみに私たちより先にトリエステに到着していた他の選手は、昨日もここに来てリハーサルらしきことをしたらしい。ちなみにディナーイベントもあったらしい。
部屋の中を見た瞬間に驚いたのは、その小ささだ。観客席が少しは並んでいることを想像していたが、必要最小限の広さしかなかった。試合直前に部屋の隅に観客席は用意されたものの、OESファイナリストのsosiや、イタリアのeセーラーと思われる人ばかりで一般客はほとんどいなかった。
私たちよりも先に部屋にいた他のファイナリストは3人くらいで、まず挨拶した。それから少しずつ増えていき、全員と対面できた。
私は自分の席についてから、デバイスなどのプレイ環境を整え、リハーサルを待った。だが、いくら待ってもリハーサルが始まる様子はなく、運営陣は話しつづけていた。選手はやることがないので隣の席の人などと話したりした。私はBabaneと、住んでいるところやセーリングについて話した。話しているときはとてもやさしいおじさんだった(レース中は台パンをする怖いおじさんへと豹変した。少し静かにしてほしかった)。
待たされつづけ、しびれを切らした選手たちは、自分らで練習を始めることにしたが、1、2レースしかできなかった。
予定の10時から1時間以上遅れて、やっと配信のリハーサルが始まり、最初の導入と1レースだけやってすぐに終わった。写真撮影などもこの前後の時間に少しあったが、そんなにやることがないなら、もっと遅く選手を集めてほしいものだ。ちなみにこの練習レースでの調子はそこまで悪くなかった。体調もまだ大丈夫そうだった。
予定では、12時から14時までランチ&自由時間になっていた。ランチはピザを頼むことになり、3つの選択肢の中から私はマルゲリータを選択した。ピザが届くまでの時間はFCさん、muimuiさんと雑談したり、ストレッチをしたりした。
ピザが届いたのは13:15ごろ。当然のように1枚ずつ配られた。サイゼリヤなどの日本の手頃なレストランで出るピザくらいしか食べたことがない私にとって、そのピザは大きすぎたし、噛みごたえがありすぎた。噛んでも噛んでも減らないピザ。おいしいと思いながら食べられたのは最初の3分の1程度。14時まであまり時間がないので早く食べないといけない。
FCさんが一番に食べおわり、私は時間をかけてなんとか完食した。muimuiさんは食べきれず、それでも無理をしたせいか、少し時間が経ってからお腹が痛くなりトイレへ。私もかなり無理をしたので、しばらく何もせずピザが消化されるのを待ちたかった。
14時からのブリーフィングや集合写真の撮影を終えたあたりで、私は眠気を感じはじめた。頭が少しずつ鈍く重くなっていった。あくびも出はじめた。目を閉じたくなってきた。本番第1レースの30分前くらいのことだ。
昼食の食べすぎと、前夜の少ない睡眠時間が原因であることは間違いない。ピザは3分の2くらいで止めればよかったが、食べ物を捨てるのは心理的なハードルが高かった。
前夜の睡眠の短さはどうしようもない。飛行機での移動中にもっと眠れればよかったが、あまり眠くならなかったし、寝心地もよくなかった。運営にスケジュールの改善を求めつつ、改善が見込めないようであれば、次回参戦時は所属している会社にサポートをお願いし、旅程をこちらで変更しようと考えている。
ブリーフィングのときまではほとんど緊張しなかったが、レースの直前になるとそこそこ緊張した。そして眠気は増してきた。12レースも体力がもたない気がして、上位を目指すのは難しいと思いはじめた。まったく諦めていたわけではないが、極めて厳しいと思った。
そもそも、直前にこの厳しい身体状態になる前から、イタリアに来る前から、今回は自分に優勝する資格がないと思っていた。それは、ここ1、2ヶ月間の練習や大会で、私がヨットレースを全然研究できていないことに気づいたからだ。こんな実力で優勝できてしまったら、いろいろなものに対してがっかりする気がした。納得いくまで研究してから勝ちたいと思った。思い返せば、今年の練習量、研究量はそれほど多くない。こんなんではダメなのだ。
セミファイナルは入念な準備が効いたとはいえ、どうして通過できたのか、何がよかったのかはよくわかっていないし、これまでの自分の好成績すべてに今となっては疑いの目を向けている。
とにかく次のシーズンは、これまでとは違ったアプローチをしていきたい。早く研究したくてたまらない。
レース本番の話に移ろう。
今回の競技姿勢は「無」。眠気が治まる見込みはなく、上に書いたように勝ちへの執着もなかった。結果よりもベッドが欲しかった。横になりたかった。目をとろんとさせながら、からだをできるかぎり脱力させ、頭を空っぽにした。
そして迎えた第1レース。眠いので、難しいことをしない省エネスタートをしたところ偶然うまくいき、最後まで1位をキープすることができた。じつはリハーサルのF50でも同じようなスタートで上位を取れていた。
景気のいい出だしだったが、それ以降は冴えないレースが続いた。試合が進むにつれ、目のショボショボや頭の締めつけ感がひどくなった。途中の休憩でトイレに行ったときに鏡を見たら、目が赤くなっていた。
ミスの種類は、スタート位置ミス、並びミス、コースミスなど多岐に渡り、感覚としてはこの間のEJCに近い。
室内を飛びまわる蚊にも悩まされた。何匹も飛んでいて、半袖半ズボンの自分は格好の標的だった。R5のナクラでは、スタートの5〜7秒前くらいに右腕の前腕に蚊が止まった。それまでいい感じに並べていたのだが、蚊を振り払うためにとっさに腕を振りあげたため、シバーが一瞬解除され、スタートラインに近づきすぎて台無しになってしまった。自分の不注意もあるが、ついてないなと思った。蚊に憎しみを抱くよりも、自分の運命を悲観した。眠いながらも「ここで巻き返せばなんとかなるかもしれない」と少し張りきっていたレースだったので、心が折れた。正直、どうでもよくなってしまった。
後半は頭も目も深刻な状態になったため、最下位を取るなど成績も悪化した。早く宿に戻って眠りたかったので、メダルレース前の異様に長い待ち時間は嫌だった。Bartは納得していないみたいだが、これを書いている今R11を見返してみたところ、紛れもなくペナルティスタートだった。
しかし、あまりにも長く、自分へのインタビューもあったせいか、最後はちょっとだけ目が覚めて、1レースだけならちゃんと戦えるくらいの元気が戻った。
総合順位は悪くても、メダルレースで1位を取れたら最低限の面目は保たれるだろうと思い、スタートからがんばった。今度こそコースを間違えず、asereが総合2位の艇をカバーに行ったことも手伝って1位を取ることができた。メダルレースの1位は2ピンの価値があるので、私は実質3ピンしたことになる。これは優勝者asereの4ピンに次いで多い。危うく自惚れそうになる結果だ。
総合順位は8位と、OESの結果より1つ下がってしまった。優勝は狙っていないまでも上げるつもりではいたので想定外だった。
結果的に、奇数月と偶数月のジンクスを破ることはできなかった。いつまで続くのか、これからも見守っていきたい。
試合後、FCさんとmuimuiさんが悔しがっているのを見ながら、私は違う感情のなかにいた。やっと終わった、早く寝たい。それしかなかった。だが、この日はまだまだ終わらない。
元々、試合後は飲み会が予定されていた。強制ではなかったので断ることもできたが、何人かから「来るよね?」と繰り返し誘われた末、説得されてしまった。バーへ向かうタクシーを外で待つ間、最初に話しかけてくれたのは、eSWC2019で3位に輝いたLuca Coslovich。気さくな青年だった。タクシーでLucaやLorenzoなどのイタリア組が出発したあとは、Albertoが私たち日本人選手3人のために残ってくれた。財布が見つからなくて焦るAlbertoが可愛かった。財布は無事見つかった。
バーはハーバーや埠頭近くにあり、他にも様々な店が立ち並んでいるので、辺りはどんちゃん騒ぎだった。朝に比べて人がとても多かった。あまりフェスなどに行かない身としては、規模が大きいように思ったし、これがセーリングのイベントであるということが信じられなかった。セーリングで街全体が盛りあがっている光景は、日本ではまず見られないし、他の多くの国でもなかなか見られないのではないだろうか。少し前にNetflixで見た、昔のアメリカズカップ開催時の盛りあがり方に似た熱気を感じた。
バーの飲み物はアルコールしかないので、普段お酒を飲まない私も少し飲むことになった。プロセッコと呼ばれるスパークリングワインが用意されていた。おつまみのチーズがおいしかった。2階のラウンジに上がると、eセーリング関係者は半分くらいしか集まっていなかった。私たち日本人は輪に入っていくことができず、壁際に立っていた。
徐々に人が増えていき、私たちに声をかけてくれる人が次々と現れた。全員優しかった。特に長く話してくれたのはコメンテーターのAlecだ。興味深い話がたくさん聞けた。
その後、私たちの元へ来る人はいなくなり、しばらく3人でヨット談義にふけった。お酒が入っているおかげか、日本語で話せる開放感のおかげか、眠いはずなのに話は尽きなかった。
21時ごろ、ディナーのために近くのレストランへ移動することになった。昼のピザのカロリーを考えると食べなくてもよかったが、少し空腹を感じはじめていて、先に抜ける申し訳なさもあったので、ついていくことにした。
人数が多いので、注文するだけでもけっこう時間がかかった。長期戦にならざるをえなかった。私とmuimuiさんはバーに行く前から眠くて、そこにお酒が入ったせいでなおさら眠くなっていた。FCさんも眠かったと思うが、まだ顔に元気が残っていた。
しかしながら私たちはしゃべる元気があまり残ってなく、話すときは日本語で話していたので、隣に座ったOscarとYuzuをかなり退屈させたと思う。FCさんはたまに英語で話題を振ったりしていた。私もたまに英語で質問を投げかけてみた。
私はワインを遠慮し、炭酸水と料理を楽しんだ。日本ではあまり炭酸水を飲まないのだが、ここにきて炭酸水のおいしさに気づいた。
ここで出る料理も量が多くて困った。1皿めは魚介類がたくさん乗った前菜で、おいしかった。昼のピザがまだ残っているのか、この時点でお腹は7、8割ほど満たされた。
メインディッシュは、トマト系のソースで、イカなどの魚介が入ったパスタ。パスタは麺ではなく輪っか状のもの。これもおいしいのだが、半分くらい食べたところでお腹いっぱいになった。あとは少しずつ気合いで食べていったが、食べきったときは正直吐きそうになった。
デザートを頼まないほうが無難だったが、聞かれたのでジェラートを頼んでしまった。ストローで飲むタイプのジェラートで、飲んでみると吐き気が治まった。お腹はいっぱいだったので、半分くらい残した。
muimuiさんは前菜を平らげるのにも苦労していて、パスタはなおさらきつそうだった。ほとんどの人がデザートまで食べおわっているなか、muimuiさんはパスタをちびちび食べてワインや水で流し込み、周りの人たちを笑顔にしていた。言葉を使わずに表情や動作で人を笑わせる様子は、Mr. Beanを彷彿とさせた。
muimuiさんはパスタを残すことに決めた。全員の食事が終わり、一部の人が席を立ったものの、全体が解散する気配はまだまだなかった。もう日付が変わる頃だった。
私たち3人はさすがに眠かったので、少し先に宿に戻ることにした。部屋に着くと、シャワーを浴びずに顔だけ洗ってすぐベッドに入った。
話は前後するが、このディナーの途中で私は他のファイナリストたちにFUNeやその活動について質問をされた。試合会場で本番前に、Farleyからもいくつか質問を受けていて、おそらくFarleyが食事中にその話を他の人にもしたのだろう。多くのプレイヤーが職業eセーラーへ興味を持っているようだった。UOLのasereやPepitoも興味を持つくらいで、収入を聞かれたので日本円でおおまかに伝えて、スマホでユーロやドルに換算してもらった。円安ではあるものの、魅力的な数字と思っている様子だった。
その反応は意外だった。海外、おもにヨーロッパにはUOLなどのプロと思われるチームがいくつかあって、そちらのほうが環境は整っているのではないかと思っていた。今まで聞きそびれていたが、この機会に今彼らが所属しているチームの実態についてこれから聞いていくつもりである。
社長や上司の方針として、海外のプレイヤーをチームに招待するのはアリとのことなので、チームFUNeが今後どうなっていくかは未知数だ。
(その3へ続く)
イタリア遠征・その3~観光そして帰国編~ (KG-R) | バーチャルレガッタ講座 – ゲームウィキ.jp (gamewiki.jp)
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