1年を振りかえる月、12月。振りかえることに忙しくて緩みがちになる月、12月。だって布団があたたかいんだもの、12月。皆さんは、いかがお過ごしですか、12月。
学業に追われて VRI のモチベーションと技量が何度も消えかけたところからKG-Rの2021年は始まりました。そして3月、プレイ時間がやや復活して迎えた学生王者決定戦では、状態調整失敗と、プレッシャーと、無理振れの3点セットにより、海の藻屑になりました。この大敗は、今でも私の大切な根っこです。
4月からは自由の身になりつつ、青レースは消極的に参加。定期クラブレースにはそこそこ参加。イベントだけはせっせと何レースもしたり、しなかったり。今年は世界選手権に用があるのだ、と意気込んでいたところに、オリンピックバーチャルシリーズ開催の知らせ。
今まで自分と無縁の存在だった「オリンピック」に関われるとなれば、血が騒ぐものです。決勝枠は20だから、食べる眠るの時間以外のほとんどを費やせば決勝進出も楽勝楽勝、と甘く見積もっていたところ、レーザーだめ、49erだめ。あっという間に後が無くなりました。あの頃、ペナルティスタートをどんなに憎んだことでしょう。一生の思い出です。
頼みの綱はナクラだけ。ペナスタというずるい選択肢がないリーチングスタート。ややギリギリといった順位ながらもノーアシストを貫いて決勝に進出し、7位をありがたくちょうだいしました。
当初はオリンピックのイベントとして設定されていた、OVS各決勝の上位者などが集まるグランドファイナルにも出場し、結果は散々でしたが私としてはお腹いっぱいの夏になりました。その後ちゃっかりeSail GPシリーズの決勝にも1度出場して、昨年のリベンジも達成。あとは世界選手権の決勝に出たいところ。
8月の全日本選手権は、昨年の同大会上位選手や今年の学生王者決定戦上位選手などが不参加のなか、経験豊富な選手や新しく出てきた選手が参加し、気が抜けない大会となりました。ぶじ優勝できたのは、ここ1年の大会経験の多さが味方したと考えています。場慣れは大事、と実感しました。
9月以降は、ネーションズカップとプレイオフだけが待ちうけていました。順番は前後しますが、プレイオフについて先に。
プレイオフは、3日間開催の耐久レース。今年は世界選手権の決勝進出方法が多様化し、プレイオフの枠が少なくなりました。用意されたのは、たった6枠。オリンピックイベントの予選ですら10位以内に入れなかったのにいけるのか、と不安になった私は、1日目の49er、2日目のナクラを全レースフルアシストで臨みました。優月さんの高得点を見ながら焦り、頼みの綱のナクラの時間が終わるまで、神風は吹きませんでした。
なかばやけっぱちになり、3日目のJ70はノーアシストでレースを楽しもうという気持ちでやっていました。いい流れが来たと思えば、同じように必死のトップランカーたちとマッチングして得点を伸ばしきれず。
「あんたは実力が足りないんだよ」
と、どこかから聞こえてくるような気がしました。ここまでの数カ月間のプレイ時間の少なさを思うと、13位という結果にはスンナリ納得できましたね。それにしても、長期戦である予選を勝ち抜くための気の持ち方は、これといってしっくりくるものがまだ見つかっていないので、来年までに用意しておかないとですね。
続いて、ネーションズカップ。2回戦のフランス戦まで、平日は毎日のように練習練習。今年は昨年よりも始まりが早く、1回戦と2回戦の間があいたので、練習時間が多かったと思います。今年は50時間くらい、チームレースの練習をしたかもしれません。ナショナルチームは12人で、約6人が毎晩集まったとすると、約300時間ですか。それほどの熱が、フランス戦に向けられていたわけですが、のちの優勝チームフランス。少しのミスも見逃してくれず、惨敗でした。
VRIの大会で、もうそこまで緊張することはないんじゃないかと思っていたのに、しばらく味わっていなかった緊張が、試合進行中の私を襲いました。この嫌な緊張は、学生王者決定戦のときの緊張と瓜二つ。制御不能な状態に陥ったら最後、すぐに根本的な改善をするのは難しいようです。
プレイオフで悔しい思いをした矢先にまた悔しい思いをして、それから約2カ月後の今日、私はもうけろりと立ちなおっています。
来年はもっと、e年(いいとし)にしていきたいなあ。
ということで2022年から、第3章、開幕します。
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