言葉は、言葉ではないものを整理するために使ったり、それを人と共有するために使ったりします。
たとえば、このブログは誰のために書いているかというと、何か上達のヒントを得たいと思っているセーラーのために書いています。ですが、私は自分のブログたちにそこまで期待していません。伝えたいことがうまく伝わらないかもしれないけど、それはしかたないよな、と思っています。
スポーツの腕を磨くためには言語化が大事だ、みたいなことを聞いたことがあります。ヨット部の活動であれば、練習後のミーティングで議論が飛びかいますし、練習中も同乗者とたくさんの言葉を共有します。それは確かに大事ですけど、「言葉で人にわかってもらう」という行為には限界があることも知っておいたほうがいいと思うんです。
言葉って思った以上に、人によって使い方とか意味合いがバラバラじゃないですか? そういうことを感じた経験、ありませんか?
と、いうことで、最後に頼れるのは自分の頭の中にある言葉だと思うんです。そしてそれをどんどん整理していくためには、自分でからだを動かしたり、経験したりするしかないんです。
私は感覚的な話を人に聞かれても、自分だけがわかるようなオノマトペを使って答えたりします。言語化を途中で放棄するな! もうちょっとわかりやすく教えてよ、けち! と指摘されたとしても、「でも自分にとってはそれが感覚本来の姿に近いからなあ」と言い訳したくなるわけです。
そうは言っても、人を完全に頼るな、とも言ってないんです。人の言葉は、自分の思考が行き詰まったときに、それを打開するヒントを与えてくれることがあります。何かに気づくきっかけを作ってくれることがあります。
つまり何が言いたいかというと、セーリングで行き詰まったらこのブログ置き場できっかけを探してみるといいかもしれませんね、ってことです。
KG-Rより
Protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.
まだコメントがありません。